guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

詩集 はかもは

  「あのおー、エットォー」

それはね。幼児のね、二、三歳児のね、
幼稚園児のね、言葉なんのよ。
 お母さんが、子供に、ゆっくりゆっくり、
 噛んで含めるように話す。
ヨージはね、まだ人間になっていないから、
すぐに人間の言葉が出てこないから、
 そんでもってぇ、えっとぉー。
大学生になっても、社会人になっても、
親になっても、 あのオー、エットぉー
まだ人間の言葉に出てこない はかもんよ。
 

 「ンコ坐り」

それはねトイレでね、するものだよ。
洋式のではなく、和式のお便所でね。
そうでなければね、やくざやさんがね、
道端でね、するものだよ。
 裏街道の日陰者が
 人生を斜に下から眺めることでちったぁ
 夕陽くらいは浴びようぜ、
 泣けてくるああ、いじらしい姿勢。
絶え間ない人通りの都会の街角で、駅で、
人生に座る椅子を最初から無くして
ンコ坐りしているはかもんよ。
 おれんち、洋式トイレじゃん。
 おっさんよぅ、関係ねぇジャン。
 

 「坐り込み」

それはね、ストライキでね、するものだよ。
不当な弾圧に抗議して、国会会社の前とか広場とかでね。
 権力の不当介入、断固ハンターイ。
そうでなければね、やくざやさんがね、
尻まくったときにね、するものだよ。
 さぁー、煮るなと焼くなと、好きにしちくれぇー。
通路だろうとホームだろうと、廊下だろうと 階段だろうと
どこだろうと、坐り込むはかものよ。
 なによオジン、ここってぇー知らないの、
 公共の場所なんだからぁー。
 

 「リュックサック」

やあ今日は  リュックサックを背負って
この下界の都会の街中をどこかへ山登りですか。
 エットォー、おじさんこれってぇー、
 デーバッグ  なんだけどぉ。
ディバッグ?つまり、日鞄。
あー日常鞄ですか。 じゃ毎日持って歩くのですね。
それで毎日 山登りですか。
 ばっかじゃなーい?
 学校行くに決まってんじゃん。
それにしたってこの屠殺場行きの牛か豚の
ギュウギュウ詰めの通勤のラッシュ時に
子供のリュックサックをお尻までブル下げて
背後の乗客の私はのけぞりの
アクロバット極旨の
敬老精神
     そおョー
      これってぇ― あんたみたいな
    エツチおじんが
    タッチるーかばな
    お尻よー

(注記)私共の子供の頃、リュツクサックは大抵遠足の時にだけ生活の中に出て来て、背負い紐は出来るだけ短かく、背中にピッタリ食っ付くようにせよ、と指導されたものだ。何となれば今時の若者のように背負うと重心が下がって重くなるだけでなく、後ろから一寸引かれただけで忽ち引っくり返る程危険極まりない。昔の子供は赤ん坊を負んぶさせられて、そのまま遊んでいたので、この原理は体感して分かっていたのだが、今の子はそれを知らない。
 

 「山姥ギャル」

山の中から突然都会の雑踏の真っ只中に
イギョウの 魔物が出てきたと、婆さんは肝を潰した。
朴の木の天狗の一本歯の下駄に
千年も洗髪していない 小汚い麻白髪色のオドロの髪、
赤銅色に ドーランを塗った面、
何語かわからない言葉。
この日頃は、山の中ではなく、
都会の真ん中に安達ヶ原がある、
なるほど山姥の来るところではない
と婆さんは特急で山の中に逆戻り。

歌舞伎の隈取りで往来に出た
異様さがわからない程度のゴボウやでー混の足
美醜の範疇をめり込んで 開き直った
オドロオドロしさ。
 

 「汚ギャル」

 

 「ズータドータ」 

    私共が小学生の頃、体育の時間に「歩行訓練」と言うものがあった。イチ・二、イチ・二、の掛け声に合せて、振る手は体側に平行、ハの字などかいていると、チャラチャラするな、と怒鳴られ、足は腿が地面と平行になる高さ迄上げる。上げ方が悪いと又怒鳴られる。さしずめ小供の軍隊の行軍。
    今の小学校ではこんな事はしていないに違いない。

ずーたどーただーずずーどずず
ズズーダドータドータズーダ
背後からの異様な音に立ち止まった 。
ごく普通の学ランの高校生、
やり過ごした目に見えたのは異音の発生源 。
踵が履き潰された黒革靴
ズータドータズータドータ
地面を足が舐めながら掃除しながら
地面にのしをかけながら
ズータドータズータドータズズー
足を上げるとクランカッポン
靴が逃走する。 
 靴の踵の履き潰しは、
 学生の生活態度の破綻を如実に示しています。
新しい靴を買って貰ったらどうですか。
 ウッセーな おっさん、
 買った先からはみ出るんだよ、アッシー。
あー、セーチョーがチョーセーするんですね、
ずるずると。
 

 「けーたいー」

現代の二宮金次郎薪の代りに
デーバッグを背負っておや
勤勉ですねーお勉強ですか
何を読んでいるんでしょう
ちょいと覗いたケーイタイ
なんだ漫画か
    おじん馬鹿にすんじゃねーよ
    これあ今はやりの漫画で学ぶ経済学だぜ。
 

  「じーんず」

ジユウダッテネェ じーんずはきねえ
何でもかでも個性的で自由な ファッション
 ふぁっくしょん
えーそれでみんな誰も彼も 犬も猫も杓子も定規も
男も女もじじいもばばあも 胴長短足の
みんなじーんずですか
     わっかんないなー、
     これってー ビンテージものよ。
ほほう、ビンにテープが貼ってあるのですね。
 

 「いやホーン」

一方通行の細い道に入り込んだ
モミジマーク
ケーイタイを見ながら真中の道路
の目の前を歩いているのだはかもん
背後から来る車の五月蠅い程のエンジン音も
何処吹く風の一向に道の端に寄る
気配は微塵もなくずーたずーたと歩いて行く
困ったモミジマークおソロおソロと近づいて
見るとなーんだ
イーヤホーンで
傍若無人の耳塞ぎか。
 

  「ボーシ」

おや?冬でもない真夏の日盛りに
毛糸のボーシを被って頭が
北極にでもなっているんですか。
これから極地探検ですか。
 カンカン照りのお日様に
 鶏ニンゲンのとさかは赤道直下もう 熱帯、
のはずなんだが おや、若いのに
脳 南化症ですかだからお日様の
日当たりから逃げてよろけて
こうして真夏の日盛りに 毛糸のボーシなのですね。
 おじん、ばっかデー。
 ニットぼーってんだよ。
成る程、日当で一日中ボーッとしてるんですね。
 

 「わかるまで、帰しません。」
                       ーー今時の塾の釣書ーー

おやおや嬉しい。 おや安心。
だけど子供はわかんな~い子供は
かえれないのままーぼくブロイラーじゃないー。
こはこはくるしい。 こはいかに。  
 理解の歓喜の発見の驚きは、
 一人孤独のうちに起こる。
アルキメデース ユーレーカー
 

  「持ち込み」

ここは教室です。映画館ではありません。
 ジュースやコーヒー紅茶缶の持ち込みは一切
 禁じます
(林に注連縄を張り、
これから先は神域であるから立ち
入ってはいけない、が「禁」)。
 教室の入り口に張られている断り書き。
だって、廊下にあって自動販売機が、
売ってんじゃん学校ジュース。
汚ぎゃーからテレビの四角枠に目を奪われ、
注意力はたったの十五分
しゃあないじゃんか
 十五分ごとにコマーシャルが決まり
授業もここでCMしろよ
 おめーらはよう
 テレビじゃんか
 テレビの中の奴がうだうだうっせーんだよ
成る程、お茶でもジュースでもハンバーガーでも
持ち込み自由教室
 

  「おとこことば」

てめーざけんじゃねーよ
きんきんきいろのかなきりごえ
電車の中でぴっくり振り返る
小学生のガキかと思った
声の主 は可愛いカワユイ女子高生。
何でも男に右倣え
 それって、男女平等じゃん。
 

 「爆音」

メットでほっかむりして まき散らす
道路にほーりぃしっと
 かっこいいぜおれらよー
 だって戦争知らないじゃん。
50ccのチャリンコバイクのB29爆撃機。

爆音轟かしてヒーホー ヤッテヤロウジャン。
耳が蓄膿症、 眼が鼻詰まり。
 

「純粋な国粋主義者」

良いにっぽん人が朝から
ハンバーガーなんぞ
食べとるんかいな
にっぽん人ならオニギリだロー

(注)動物学によると、どの動物にも能力形成の臨界期というものがあり、その時期までに所謂その動物固有の特性という物が決められてしまうと言う。例えば、味覚。人間の場合は三歳児までに判断の基準が形成されるらしい。「お袋の味」が、それである。序でながら、アメリカ人のお袋の味は、ハンバーガー。
 

  「純粋な国粋主義者」

新品をズタスタに切り裂いちゃって
もったいない ジーンズを
穿くんじゃあないわよ日本人なら
もんペはきなさいよ

(注)ジーンズはデニム(厚手の綿織物)の一種で、彼の地では元来、労働着である。

  「日傘」

おや梅雨の晴れ間のカンカン照りの
お天気に日傘なんか差して折角
の傘が能なしで癇癪を起こして
雨傘を日傘に差しているんですか。
  なによーオジン
  これってーもともと
  日傘なんだからぁー
そうですか地は黒で赤や緑
のとりどりの模様がある
じゃあないですか日傘
と言うのは白か水色の
レースで見た目にも
涼しいものでしょう。
  バッカじゃなーい
  黒の方が紫外線
  遮断効果バツグン
  なのよー
それにしても見た目に
暑苦しくてかなわない
  見なきゃイージャン
目を開けていれば嫌でも
目に入って来ますよ。
  だったらぁー
  目を閉じて歩けばー。
 

  「純粋な愛国土主義者」

誰だよ原爆を爆発させた奴は
何が美しい国だよさんざん
この福に満ち満ちた福々しい山野を汚し汚して
何が山は青き水は清きフルサトだよ
誰だこんな醜い汚い国にした奴は。
 大津波だろ
出鱈目だかAOHだか言うふてー
大津波野郎はどこへ逃げちまったんだ。
 海だろ
海のどこだよ
 海の海だよ。
何だよそれあどうすれあいいんだよ
誰かとっ捕まえて来いよ。
 誰をよ、海の海かい?

日本人だろ。

(注記)科学技術については、科学者も技術者も共に人間として社会的責任があると喧しく言われてる昨今。現代の科学技術は、人類の存亡に関わる機械や兵器をいくらでも作れる域に到達しているからだ。従って、科学者はそれが研究者としての旨みがあっても社会への影響を考慮した上で自らの研究の可否を決定しなければならない。技術者の場合は尚更で、一旦事故が発生したら対応のしようがないものを、製造販売してはならない。人間として守るべきの当然の倫理である。
 

  「純粋な愛国土主義者」

余所者は出て行けよここは
純粋大和民族の国なんだ
出てけよケートーはよ。
 所でお伺いしますが
 純粋大和民族とはどんな
 お人なのでしょう
それあこのシマにずーっと住んでいる
俺らのことさ。
 ずーっととは
 何時からのことでしょう
それあずーっと昔の昔さ
 ですから昔の昔とは
 何時の昔でしょう
っせーなあ歴史で習わなかったのかよ
ヤーヨイ時代とかジョーブン時代とか
 そんならワタシドモモ
 その時代からここに住んでいますよ
っせーなあ住んでても
大和魂がなけあ
純粋大和民族じゃあネーンダよ
 大和魂とは何ですか
っせーなあ大和魂は
大和魂だよ。
(注記)夏目漱石は大和魂について、次のような記述をしている。
「大和魂!と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」。「大和魂!と新聞屋が云う。大和魂!と掏摸が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」。「東郷大将が大和魂を有つている。肴屋の銀さんも大和魂を有つている。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている」。「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」。
 

 「学生にバカと言わないでください」

新学期に講師室に現れた教務のお偉いさん
特に新任の講師に向かって学生に
絶対バカと言わないでください。
 講師一同、下や上やあらぬ方を向いて
苦笑する。
 我々が学生の頃は、教師に「バカ」と言われると秘かに
 下を向いて舌を出したものだ。
 拙い、今あいつが言った本を読んでいない。
 帰りに書店に寄っていこう。
所が今時の学生、
こんな事も知らないのか
(呆れ果ててついつい)
バカ。と言うや直ぐに
教務に駆け込んでご注進。
教師の某が僕に、私に、バカと言った!
言われた教務がすぐさま血相を変えて
教員にご注進。
 学生にバカと言ったそうですね。
 ああ、言ったよ、バカにバカと言って何が悪い。
    それが悪いのですよ。
 何か困ることでもあるのかい。
それはそれは困ります学生は、
デクの、金の成る、
ボーですから。
 
 

 「学生にバカと言わないでください」

ここは高等教育機関です。
     学生は何を言われているのか
     わからず無反応。
ここは初等教育機関ではありません。
     同様にピクリともしない。
初等教育機関とは小・中学校のことを言います。
     ここで少し、ナンダと言う反応。
小・中学校は義務教育です。
 行きたくなくても嫌でも応でも行かなければなりません。
    当り前だろ。
ここは高等教育機関です。
嫌なら来なくて良いんです。
    あ、そうだったかと、少し納得したのが、一割未満。
そう言う訳で、
オイ、授業中に居眠りするナ
ら、どうぞ教室からお出になって、もっと快適な場所で、お寝み下さい。
引き留めませんから。
丁寧にそう申し上げても、
教室から出て行った者は
一人として居ない。
    潔さの欠片もない
    はかもんよ。
 
 

 「静寂」

教養課程必修科目の大教室
始業のチャイムが鳴ってやがて
登壇した講師   日本近代文学の私小説
の授業を始める広々とした教室
はチャイムが鳴る前の
休み時間と変わらない
スズメやアヒル、イヌネコの鳴き声吠え声唸り声。
ケータイで通話する者
コンパクトを出してアイシャドーを引く者
もちろん鼾をかいて寝ている者
どこぞの大衆酒場かと見まごうばかり
の大熱閙大紛乱
セーシュクにシズカーニー
講師の叱声もめでたくそのお仲間

突如黒板に響く
破れ大鼓の爆発音
     サルものの講師が起死回生 
     のハードカバーをバチにの黒板叩き
さすがに一同吃驚皆注目間髪入れず
板書を指して大音声
    ここ  試験に出あーすー。

途端に教室は本来の
静寂を取り戻した。
 

「純粋な国粋主義者」

プラチナの十字架の首輪ね。
粋がって格好つけてるのだろうけど、
ヨーロッパに行ってご覧なさい、
キリスト教徒でもないのにそんなもの
首にぶら下げていたら引きちぎられるわよ。
日本人なら、
数珠かけなさいよ。 
 

「純粋な国粋主義者」

あらあ金髪が綺羅綺羅して綺麗な
マリリンのモンローウォーク
も板に付いたケートーさん
の前に出てお顔を拝見なによ
日本人じゃないニッポンジン
なら緑の    黒髪でしょー
 

「やばい」

 上層階級、今風に言えばセレブ、が使っていた言葉はやがて品下り、下層の一般  庶民も使うようになる。それはそうだ。せめて言葉くらい上流階級のものをおらっちもあたいも使いたい。「御前」「貴様」などなど。一方、その反対に下層の、アウトローしか使わないスティグマ付きの言葉を一般の人間が普通に使うようになる。
「やばい」は、本来はこういう使い方をする。「俺っちのヤサ、マッポにガサいれされそうで、まじ、めっちゃ、やばい」。

長蛇の列ができる人気ラーメン店
ようやく店内に入れたはか者三人組
勢い込んで注文特盛ラーメン三つ
おまちどー
出てきたラーメンクリスマスツリー
のような(安くてモーレツにお得な)もやしのピラミッドその上にこれでもか、
の肉のダー国ダメリカ産の厚切りチャーシューのトッピング
やばっ
一人が大声を出す。 もやしのピラミッドをかき分けてスープをレンゲですすったもう一人
やばっ
箸をドンにくぐらせて麵を食べた三人目
うっ、やばい。

やばやばやば
一口ごとに感嘆符?を発しごっつぉーさん
店を出て行った。

ラーメン鉢を下げてきた学生アルバイトの店員に中年の店主が訊く
やばいやばいって、そんなに不味かったのかい。
そんなことありません、ホラ、完食です。
鉢はまっさら、スープの一滴も残っていない。
なんだ。やばい、やばい、を連発してたが、

ねこがにゃーにゃー
いぬがわんわん
鳴いてただけか。
 
 

「学生に馬鹿と言わないでください」

英文学原書講読の授業
説明をただ聞いているだけの学生を啓発しよう
と授業中に講読する一節を各自翻訳させる作業を課して
さて、ちょいと休憩、と教卓に付属している椅子に腰かけ
広い教室をぐるりと見渡す
と皆下を向いて作業しているのか寝ているのかわからない中
一人だけ顔を上げてつくねんと中空を見ている学生
がいる、のを心配した教員そろそろと近づいて小声で
問いかける、具合でも悪いのかね。

いえ至って元気です。学生の返事に、当惑した教員、
じゃあ言われた作業をしなきゃ。
うー、でもー。
うもデモもない、やらなきゃ単位を上げられないよ。
あー。
業を煮やした教員、なぜ大学なんかに来てるんだ?
 
だって、親が
行けというから。
(補)
大学全入時代。文句を言わなければ誰でもどこかの大学に入れる。大学の募集定員と、入学志望者数の逆転。高等教育をできるだけ多くの国民に、という政府の有難い施策、だって大学経営で金儲けが出来る。御蔭で教室で起こるこんな現象。「お勉強」などしたくない、嫌だ。そういう子供が大学にまで来ること自体が悲劇である。一人一人の資質、才能に合った進路を用意してあげることこそ「教育」と言うものだろう。
 
 

「純粋な国粋主義者」

ヤンキーヤンケーと意気がっている
ボクたちアタイたち
は一体ナニジンさまなんでしょうか
バカ言ってらあニッポンジンに決まってんじャん
アラ
日本人なら
ジャップーでしょ
 

「はかもは」番外編

女子大教員亡国論
 少子化社会である。大学も例外なく、学生募集に苦慮する中、特に女子大ではこれが死活問題。苦肉の策で「女子大」の看板を降して男女共学にするところが続出している。その中で依然として孤高を守り伝統を維持している女子大もある。特にミッション系のスクール。 小生の四十年来の知人で、このミッション系女子大学の教員をしている男がいる。ところがこの人物、誰がどう見ても、<やくざの親分>にしか見えない。その証拠に、新宿や渋谷の繁華街を黒のサングラス、黒のダブルのスーツで悠然歩いていると、通行人は伏し目になり皆避けて道を譲る。 その典型例が、ある年の新学年の開始の日のエピソード。 特に講義をすることもないので、彼はいたってシンプルな出で立ちで大学の門を入った。 黒のサングラス、ダブルのスーツ、小脇に抱えた不動産屋が良く持っている小さなカバン。 キャンパスのイチョウ並木を新たな学期の始まりの新鮮な空気を感じながら歩いていると、 後ろからバタバタと興趣を台無しにする足音。 肩を、ポンと敲かれた。 見ると息せき切った若い守衛さん。「もしもし、ここは、貴方のような方がいらっしゃる所ではございません」。 怒るまいことといったらない。「馬鹿者、守衛だったら教員の顔ぐらいちゃんと覚えておけ」! 職務に忠実なこの守衛さんは、その年初めて赴任した若者であった。
 この男は無類の酒好きである。小生も酒は嫌いではないので、何かの折に結構一緒に飲み屋に行ったりする。女子学生とのトラブルで何人もの男子教員が解雇されているにもかかわらず、きっちりと六十五歳の定年まで勤めあげ、さらに七十まで非常勤で在籍したというのは、信じられないことである。学長は当然、シスターだ。極道とは正反対の清らかな存在。
 どう考えても不思議の念はいや増しになる。そういうわけで、居酒屋で彼がいい気分になったとき水を向けて、その不思議を解明しようとあれこれ話を引き出した。これから記述するのは、その際にこの人物が自ら話したことで、あまりの可笑しさにこれを何かの形で公表する義務を感じた私は、少なくとも五十話くらいを収集して本らしい形にしようと画策したのだが、どうもその企みに気付かれたようで、ある時からパタッと話さなくなってしまったので、ここに挙げるのはそのごく一部でしかない。
 
学生編

卒業論文

卒論の論題提出期限を過ぎても音沙汰のない学生を掲示で呼び出した。
研究室にやってきた学生に向かい、
一体、何が好きなんだ。
えっとー、ディスコ、スイーツ、それからブランド物のバッグ。
(なんで呼び出しを食らったか、まるで分かっていない。)
そうじゃない、興味がある物は何かと聞いているのだ。
うーん、ディズニーランド、温泉、それからぁー。
 
レポート