guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

トニ・ギーコ氏の地球旅行

  

  『トニ・ギーコ氏の世界旅行』

 

  一 旅立ち

  トニ・ギーコ氏は懶(なまけもの)である。縦の物を横にもしない。いや、この言い方に倣(なら)ってより正確に言えば、横の物を横にもしないほどの無精、横着者である。いま自分が置かれている状況がどうであろうが、仮令(たとい)それが不都合、不便極まりない物であろうと、そしてそれを改善するために本来なら敢えて動かなくてはならない場合でも、ギーコ氏の生来のナマケモノは逆に、敢えて動こうとはしない。ーーそれで何とかなるのですか。何とかするために、(本人はそう思っては居ないのだが)つまり、自分の方をその不都合、不便に難なく、というより無精であるが故にそのまま、合わせるのである。「合わせる」というのも語弊がある。何もしないことが自ずとそうなっているのだから)。それは例えば、 家にいれば、家から敢えて出ようとはしない。震度五ほどの地震があっても、恐らくそのままじっとしているのがギーコ氏である。)
   トニ・ギーコ氏はそういう人物である(本人は従ってナマケモノの生まれ変わりと自分では思っているらしい)。そういう訳なので、だから従って、ギーコ氏は旅行などいう大変な事をするはずがない。まして、海外旅行となれば尚更である。
   ところがそのギーコ氏は意外にも、海外旅行を随分としているらしいのだ。私がたまに酒席をご一緒させていただいたりした時に、ぽろりほろりと海外でのおかしな話が、酒の摘みのように出てくるのを耳にしているからだ。それは確かに本人が実際に体験しなければ話せないような実におかしな話なのである。
   そもそもナマケモノのギーコ氏が、敢えて海外旅行するようになったのは、トニ・デーコ・ユギン夫人の賜物らしい。さすが無精のギーコ氏もデーコ夫人の鶴の一声にはさしもの物臭も何処かに吹き飛んでしまうらしく、そのお供で出掛けた結果が、何のことはないギーコ氏の海外旅行ということだ。日本人なら大抵憧れる活発活動のアメリカンドリームの国、若者しか居ないことになっているアメリカはしかし、ギーコ氏の性に合わないらしく、素通りしただけで、合衆国の中で唯一滞在したのはハワイだけのようである。これは従って或いは番外編として話が聞けるかも知れない。
   さて、それでは早速ギーコ氏の生まれて初めての海外旅行の話に入ろう。話と言っても、酒の席での摘みよろしく、出された物を私が料理らしい体裁に仕立て上げるだけのことではあるが。
    ギーコ氏の初の海外旅行は、驚くべき事に「世界一周旅行」なのだ。これはナマケモノのギーコ氏を考えれば仰天することで、普通はお隣の韓国とか、台湾とか、せいぜいグァムとかハワイとか、日本人にとって安直に行ける、言葉の不便がない、コンプレックスを感じないで済む、そういう外国が最初の海外旅行先に選ばれるのが普通である。それが、いきなり世界一周とは一体いかなる事情でそうなったのか。当然、ギーコ氏の発案であるはずがない。――さすがにギーコ氏もそんなことはしたくなかったと見えて、出発時の手帳にこんな事を書き留めたらしい。

 夕陽の壮麗
 棚引く雲に一人
 逃げた女を追って外つ国に
 旅立つ男 

 夕陽は この美しい悲しみを知らない 

という、何やら下手な新体詩のようなメモに、ギーコ氏の初めての海外旅行の後ろ向きの決意のような物が感じられて哀れである。実際、飛行機に乗ることを、蛇蝎を見るがごとく忌避し、飛行機を初めて見た日本の田舎者のように、あんな鉄の塊が空中に浮くわけがないと信じて疑わないのがギーコ氏である。水よく万斛の船を浮かべる、という中国の言葉を知らない筈はないのに、空気もそれと同じだと思おうとはしないところがいかにもギーコ氏らしい。ともあれそんな物に乗らなければならないと言うこと自体が、既にギーコ氏に悲壮な思いをさせていたのである。

  

二 香港

  旅行の指令は遙か彼方、明治時代で言うなら、東シナ海からインドシナ半島沿いに南下し、インド亜大陸を回り、ペルシャ湾を北上し、地中海に抜け、更にジブラルタル海峡を通り抜けて大西洋に出て、イベリア半島沿いに北上した更に北の果て、船旅だと一ヶ月かそこらかかったであろう、イギリスの霧の都ロンドンから来た。序で乍ら、霧のロンドンには説が二つあって、一つは産業革命の大発展による工場から大量に吐き出された媒煙、今風に言えばスモッグによるとするのと、もう一つは北海から南下して来た冷えに冷えた海流と、アフリカから北上して来る湯気の出るような暖流が恰度イギリスの東岸で衝突し、大量のガスが発生するためだとする説。元々の原因は後者であろう。日本でも同じ様な事が東北の三陸沖で起こる。親潮と黒潮が恰度そこでぶつかり、太陽を翳らすガスとなって、「寒さの夏はオロオロ歩き」という冷害を東地方にもたらした。気付いて見ると、ロンドンの緯度は北海道の札幌よりもずっと北なのだ。凍て付く小島である筈が、そうでもないのは、この赤道海流のお蔭である。従って、この海流が臍(ヘソ)を曲げてイングランドの手前で西に逸れたりすると、夏でも雪が降る。そんな、暗く寒い世界である。閑話休題。ロンドンの某大学に留学していたデーコ夫人が、夏期のバカンスに世界一周を企てたものの、一緒に行こうという酔狂な友人が当然のこと、誰一人として居ない。さすがに一人では心細かったと見えて、あまり役には立たないが男ならそれらしいボディガードに見えるだろうと言うことで、当時は勤め人に毛が生えた程度で、夏は全く暇なギーコ氏に白羽の矢を立てたもののようである。

 「世界一周旅行をします。ついては、香港で一周切符を買うと日本で購入するより格段に安いので、とりあえず香港まで行って欲しい。そこで知り合いのロッキードなる人物に切符の手配を頼んであるので、それを受け取ってロンドンまで飛んでいらっしゃい」という連絡が突如舞い込んだ。ロッキードとは、デーコ夫人のボーイフレンドの一人である香港華僑の御曹司で、要するに金持ちのぼんぼんらしい。もちろんギーコ氏はその人物に会ったこともなければ、写真を見たこともない。従って当然、顔は知らない。
 事もなげに言って寄越すデーコ夫人と違って、ギーコ氏はそうはいかなかった。初めての海外旅行。一体お金はどうするのか。世界一周となると、香港滞在で一体どれくらい使えるのか、使えば良いのか。まるで見当がつかない。日本円を香港ドルにいくら換えれば良いのか。まるで分からない。そのギーコ氏に、デーコ夫人はまた事も無げに「両替なんてしなくて良いんじゃない。ロッキードが空港まで車で迎えに行くと言っているし、滞在は二、三日で、彼が全部面倒見てくれるはずだから」と言う。……ギーコ氏は唯々諾々とその言葉に従うしかなかった。何しろ初めての海外旅行で、右も左も東も西も何も分からないのだから。
 成田から香港までの飛行機の中で、早速胡乱(うろん)な香港人の夫婦と隣り合わせになった。若い男女で、日本に新婚旅行に行った帰りだという。香港の九龍半島側に大きな邸宅があり、(これ自体が胡散臭いのだが)手広く商売をしていると言う。ところであなたはお一人の日本人のようだが、ご旅行か何かそれともビジネスでしょうか。尋ねられたギーコ氏は、結構ああ見えて見栄っ張りなところがあるので、いやこれから世界一周旅行に出掛ける所です、とそういう時だけ胸を張って答えたらしい。 カモだ、と思った香港人夫婦は、我々も香港で降りるから是非観光案内をさせてはくれまいかと誘い水を盛んに向けてきた。何なら私どもの家に泊まりませんか。のっけから良い気分にさせられたギーコ氏は、しかし勿体ぶって、いやお誘いはありがたいが、これこれこういう事情になっているから、ご招待はまた今度と言うことにいたしましょうと、丁重に断ったと言うが、果たしてそうかどうかは分からない。そんなことを喋っている内に、着陸のアナウンス。慌ててシートベルトをきつ過ぎるほどに締めてギーコ氏は、観念したような表情になった。何しろ事故が起こる確率は、離陸時と着陸時が格段に高いという情報が頭の中にこびりついている。……飛行機は僅かな衝撃を乗客に感じさせただけで、極めて軽快に滑走路を走行し、窓の景色が普通に平行になった。乗客から思わず拍手が起こった。……まだそんな時代のことである。
 しかし飛行機の搭乗口を出るやギーコ氏を新たな緊張が襲った。入国審査。税関審査。成田では当然日本人の係官だから、まだ良かった。今度はそうはいかない。香港人である。一応英語で何とかなるはずだが、ギーコ氏の英文の読解力はアメリカ人の小学生程度はあるはずなのだが、会話の方はほとんど幼児に等しいと自認している程、話すのはまるで駄目だ。相手の言葉が聞き取れるだろうか。「異邦人」と札が下がっている列に並んで、自分の目の前の何人かの振る舞いを見習えばいいだろうと、ギーコ氏は高を括ることにした。パスポートを出して、事前に機内で滞在先、期間などを記した紙を出して、相手の言葉があまり聞き取れなくても例の曖昧な日本人スマイルを見せていれば何とかなるだろう。
 そんな緊張の最中、入国審査にまつわるくだらない冗談話がギーコ氏の頭を横切った。ギーコ氏が旅行に出る直前に読んだ週刊誌に載っていたジョークである。日本人の一般庶民の海外旅行は、高度経済成長時代、農協や町内商店街の団体旅行がその走りで、当然のことながらアヒルの行進宜しく、親アヒルである添乗員の尻の後にくっついて全員がよちよち歩きでついて行く。入国審査の時も例外ではない。町内のじいさんばあさんが中心のハワイ団体旅行を任されたある添乗員が、旅行前にもう一度おさらいをして、最初に聞かれるのは必ず入国目的は何か、ですから係官が何を言っているのか分からなくても、「サイトシーング」とだけ答えてください、とは言ってもきっと直ぐに忘れてしまうでしょうから、「斉藤寝具店」と覚えてください。特に「さいとーしんぐ」の所を大声で言ってください。それも、早口で言ってくださいね。そう念を押して一行を入国審査の列に並ばせた。――「斉藤寝具店」で皆無事に通過したのだが、最後の一人だけ「藤原布団店」といった物だから、大変な騒ぎになってしまった、という落ちなのだが。きっと斉藤寝具店に良い気持ちを抱いていない、布団屋の親父か誰かが居たのに違いない。などど詰まらないことを思っているうちに、自分の番になった。
 曖昧な日本人笑いを浮かべて、ギーコ氏が無言で出した入国票を一瞥した係官は、滞在がほんの一両日なのであまり問題にしなかったらしい。入国目的と滞在するホテルだけをギーコ氏に尋ねた。さすがに「斉藤寝具店」とは言わなかったが、滞在先は「富豪香港酒店」。中国語で何と発音するのか皆目見当がつかない、「ふごうほんこんしゅてん」で通じるはずがない。ギーコ氏はそう書いてあるメモを示した。係官は一瞬「ホー」という顔をして、ギーコ氏のパスポートにぽんとスタンプを押した。ロッキードが予約してくれたホテルだが、どうも高級ホテルらしいということがその反応でギーコ氏にも判った。さて、次は飛行機に預けていた荷物を取り戻す番だ。香港のその当時の空港ビルは、先だって新改装されたピカピカの香港国際空港の建物とは桁違いに古ぼけて暗い建物で、しかも入国審査、バッゲージクレイム、税関の三種の神器が踵を接する如くそれぞれの関門を出ると直ぐの所にある。ギーコ氏の旅行鞄は、ボクシングのサンドバッグを半分輪切りにして横にしたような、それでも本人に言わせれば奮発して買った、牛革のン万もした高級品だと言うことだが、使い勝手が悪く一度閉めてしまうと開けるのに一苦労する代物らしい。税関台は至ってシンプルな設えで、そこに鞄を載せたギーコ氏がやっとの思いで開けると、税関職員は手練の早業でギーコ氏の旅行鞄の中を腑分けする。しかし、何しろ中に入っているのは着替え、洗面用具、ガイドブックだけだ。プロにはそれが逆に引っかかったらしい。風采がまず怪しい。しかも妙にオドオドしている。何かある。中身が単純なのがもっと怪しい。着替え、洗面用具、ガイドブックを徹底的に引っ繰り返し透かし、おまけに鞄の内側外側、留め金に至るまで念入りに調べる。一時間以上も時が経った、とギーコ氏には思われる程の長さ。結局、当然のこととして何も出てこなかったことにプロ意識の鼻が折られて、失望した顔つきをした係官はやっと出口の方に顎をしゃくって見せた。後続の旅客が不機嫌そうにしているのを後目(しりめ)にあたふたしながら鞄を締め直してさてほっとした、ギーコ氏はしかし再び緊張する。目の前に磨りガラスの出口があり、その横に守衛が一人立っている。出れば、そこは初めての香港。その時ギーコ氏の頭を「両替」が掠めた。出たらお仕舞いだ。両替所は中にしかない。香港ドルはびた一文持っていない。出たら最後、三、四歳の幼児になってしまう。しかしそこにすぐさまデーコ夫人の言葉が響いた。「両替なんて必要ないわよ」。その声に推されるように磨りガラスで見えない向こう、「香港」にギーコ氏は勇躍、足を踏み入れたのであった。

 出た所がやや高見になっている。直ぐ先の階段を降りると縦にヒョロ長い広場になっていて、そこに例によって出迎えの群衆が大勢、遙か彼方まで犇(ひし)めいている。先頭に居るのは大半が迎えに来た人間の名前を書いた紙を額の上や胸の前に掲げた連中。ギーコ氏は当然、自分の名前が書かれた紙片を捜す。先頭の群衆から五、六列目ぐらいまでを舐めるように右から左、左から右に丁寧に見渡す。……ない。自分の名前が見当たらない。漢字の国の連中だから、ギーコ氏の名前を当然のこと、漢字で書いているはずだ。彼らは中国名と亜米利加か英吉利名の両方を持っているから、ロッキードという迎えに来るはずのデーコ夫人のボーイフレンドがそうだ、横文字で描いているものが結構目に入ってくる。しかし、日本人のギーコ氏は、そんなしゃれた横文字の名前など持っていはしない。ギーコ氏が到着したのは成田発香港行きの最終便で、時間は既に夜の八時半を回っている。迎えに来るとは聞いていたものの、相手の顔形はまるで分らない。名札でもなければ見つけようがない。……困った。

 困ったギーコ氏の視界の右端に、空港案内所が見えた。そちらを見ると係の女の子が二人、ぺちゃぺちゃ話をしている。助かった。案内所で頼んでアナウンスをしてもらえば良い。ややホッとしてギーコ氏は彼女らの所に向かう。アナウンスして欲しい旨をたどたどしい英語で話すと、返って来たのは、執務時間がもう終わったので出来ない、と言うつれない返事。どう掛け合っても聞く耳を持たないという態度があからさまに見て取れたギーコ氏、トボトボと元の位置に戻る。と何を考えたのか、今度は急に回れ右をした。仕方がない、ホテルの名前は知っているが、何処にあるのかは知らない。知っていたとしても自分で行けるはずがない。タクシーに乗るしかない。乗るには、香港ドルがいる。臆病で内気なギーコ氏には珍しく、先ほど出てきたばかりの磨りガラスの出口に戻ると、これまたそこに立っている守衛に、何かぼそぼそと話したようである。おそらく、両替をするのを忘れたので、もう一度中に入れてくれ、と言うようなことを言ったのだろう。意外にすんなり中に入って行った。

 さて、やや持ち直した表情で再び「香港」に出てきたギーコ氏は、今度は当然タクシー乗り場を探す。行ってみると、文字通りの長蛇の列。最後尾に並んだギーコ氏の目には、先頭が遙か彼方。一体いつホテルに着けるのやら。観念した顔になったギーコ氏の所に、白いポロシャツを着た男が一人やって来て何か話した。聞くと「こんなに長い列じゃ、いったいいつ乗れるか分かりゃしません。いい車が向こうにありますぜ」。何のことはない、白タクのあんちゃんである。要するにギーコ氏は、ネギを背負ったカモと見られたのだ。この連中は当然、カモを探す眼力だけは持っている。隔離された空港の中から「香港」に出て来て、あたふた、キョロキョロ、あちらを見、こちらを見して、挙動が定まらないのは、お上りさんか外国人のカモだ。ギーコ氏は恐らく最初から目をつけられていたのに違いない。頭の回転がお悪いギーコ氏は、しかし、その時は何とか頭を働かせたらしい。割とすんなり白タクのあんちゃんの後を付いて行った。見ると小男だし、車の所まで行って他に男が居たら乗るのはよしにしよう。乗ってしまったら何処へ連れて行かれるか分かったものではないが、しかし、危ないと思ったら、自分は後ろの席に乗っているのだし、相手は小男だ、後ろから首でも絞めれば何とかなるだろう。どうも、そんな判断でついて行ったようである。如何にもギーコ氏らしい。一般駐車場は流石にさほど車は止まっていなかった。よれよれの如何にも白タクという車に手招きする。ギーコ氏は後ろの坐席に乗る。白タクは迷路のように高速道路が交差している既に暗くなっている香港の町に走り出した。何処を走っているのか、ギーコ氏には皆目見当が付かない。なかなかホテルに着きそうにない。三十分以上走っただろう、なにやら大きなビルの裏手、荷物の搬入でもするような寂れた場所に白タクは止まった。これが一流ホテルの玄関か。不審な顔をしたギーコ氏を見て、白タクのあんちゃんは左手のスロープを指さし、ぐるっと回っていくと正面玄関に出る、と説明した。成る程、白タクだ。正面玄関に車を着けられる筈がない。そう合点したギーコ氏は、高いのか安いのか分からない白タク代を払うと、言われた通り、しかし半信半疑でスロープをとぼとぼと上って行った。
  右回りに半分ほど登ると、ホテルの正面玄関の全景が現れた。扇状地風になっていてその要のところに車寄せがある。時刻は夜の十時を回っていたであろう。ドアマンが一人、所在なさそうに立っていたが、意外な所から現れたギーコ氏に一瞬ドキリとしたらしい。しかし、その腕にごたいそうな旅行カバンが下げられているのを確認して、ああ、と納得したようだ。ドアを開けてくれた。入るとロビーの天井がやたら高い。優に三階ほどはありそうである。客が来ることはほとんどない時刻なので照明が落としてある。薄暗い右奥にスポットライト風の明かりがともり、そこがどうやらレセプションだ。カウンターの奥にヒョロ長い男が一人立っていた。ロッキードの名前を告げるとすぐに通じて、部屋の鍵を渡してくれた。エレベーターでかなり上層の階まで上がる。後で知ったが、バツ印の格子に赤い照明をした評判の高層ホテルらしい。部屋に入って窓から外をのぞくと、眼下に銅羅湾が見える。旅行カバンをベッドに投げ下ろすと、さて、何としてもロッキードに連絡をつけなっくてはならない。知っているのは彼のオフィスの電話番号だけである。こんな時間にはたして彼が出るだろうか。呼び出し音がいくらもしないうちに「ウェイ」と相手が出た。良かった、ギーコ氏のことを心配して事務所にいたのだろうか。いや、デーコ夫人が先回りしてロンドンから連絡をしていたのかもしれない。詳しいことを話す会話能力はないので、とにかく迎えが来なかったと、ギーコ氏には珍しくやや強い語気でいうと、えー、そうかい。運転手を迎えにやらせたはずだが手違いがあったのかなー、ととぼけたことを言う。どうしてくれるんだと言うと、明日は夕方まで仕事で相手をしていられないから、そーだなー、香港公園にでも観光に行ったらどうだい。夕方に美人行宮と言う飲茶の店で会おう。受付で僕の名前を言えば案内してくれる手はずにしておく。今日はこれでしょうがない、オーケーと言って受話器を下した。右も左もわからないのだが、香港は世界一周旅行の切符をもらうだけの腰掛に過ぎないので、慎重なギーコ氏にしては珍しく何も調べてこなかった。慌ててガイドブックを見る。公園はホテルの割と近くにあった。ケーブルカーのようなもので頂上まで登るらしい。ロッキードが待ち合わせ場所に指定した飲茶の店は、かなり有名らしく行列ができて、しかも予約はできないそうだ。そんなところにいきなり行って入れるものだろうか。心配になったが、シャワーを浴びるとどっと疲れが出てギーコ氏は速攻で眠ってしまった。