guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

随想 現代詩の散歩

「現代詩の散歩
ーー 西脇順三郎の詩における
     円環イメージを辿ってーー 」        

☆はじめに 

    現代の詩人で好きな人はいますか。あるいは、現代詩 人を誰か知っていますか。そう聞かれて、はい、金子み すゞさんが好きです、とか田村隆一という詩人だったら よく知ってますよ、鎌倉駅前の居酒屋でしょっちゅう飲 んでましたから、とか答えられる若者に近頃とんと会わ なくなった。そればかりか、反対に、詩人なんてどこに いるんですか、と若い人に聞かれて今度はこちらが困っ たりしてしまう。確かに最近の日本社会では、詩人の影 はかなり薄くなっている、というよりほとんど消失して しまっているような感じさえする。もっとも、自分で詩 人だと称している人の数は今までの日本のどの時代より も多いはずだ。しかし、現代のごく普通の日本人は詩人 の姿をとんと見かけたことがない。このミステリーはど こから生じているのだろう。
 それは、いくら詩人と称する人間の数が多くても、日 本人の誰もが異口同音にあの人は詩人だと認めるそうい う詩人が、現代の日本社会では払底しているということ に由来している。マルチ・メディア時代とか、価値の多 元化した現代とか、その理由は様々に付けることが出来 るが、どんな理由付けをしようと詩人が存在しない社会 というのは、不気味な社会である。詩人とは何だろう?  詩人という呼称は、言語文字を素材にしてもっぱら作 品を創造する人物に対してだけ使われる呼び名ではない。 例えば中世の「吟遊詩人」などという言い方があるよう に、歌を歌って各地を放浪した芸人や、現代のシンガー ソングライターやポップスのミュージシャンに対しても、 ひょっとすると詩人という形容を付けたりする。つまり 古今東西を問わず、どの時代どの民族にも詩人と言う人 種は存在したのである。古代ギリャの詩人、近くはイギ リス王室に優遇され、特別の手当てまで支給された桂冠 詩人、あるいは中国では古代から代々、士大夫は同時に 文人でなければならず、文人であれば当然詩が作れなけ ればならなかった。日本では古代・中世の貴族達が場合 によっては政治をそっちのけで、和歌を作ることに命を 懸けた。――詩とは何だろう?  ポエジーを感じさせるもの、それが詩である。そして ポエジーは、芸術という人間の営為の中での至純・至高 のものである。それが文学であれ、絵画・彫刻であれ、 音楽であれ、われわれにポエジーを感じさせてくれるも の、それこそが詩なのである。それでは、その肝腎のポ エジーとは?
 それは比喩的には詩のミューズとして表象される(詩 の女神の主宰するポエジーの世界。その世界の住人とな り、女神にオマージュを捧げる。それが詩人である)。 この詩の女神は人間の五感を通して感性に作用する。我 々の生命は、絶えずマンネリ化する日常生活にその流れ を停滞させ混濁させている。そのような人間の魂を浄化 し、世俗を超越した美の世界に誘うものこそ、詩の女神、 ポエジーである。
 しかし、詩人と称される人種のすべてが平等に、この 詩の女神の恩寵にあずかれるわけではない。詩の祭壇の 中心で自らの作品を高らかに朗唱できる詩人もいれば、 詩の世界の周縁をうろうろしているだけのホームレスの ような詩人もいる。つまり、詩の世界には様々な種類の 詩人が棲息している。作品は常にポエジーという極北を 志向するものでなければ詩とは言えないが、その度合い は詩人の資質・作品の出来不出来によって千差万別であ るだけでなく、詩人に固有の多様な色調や音色や光彩が 詩作品の中には無限にある。その詩人の中から、日本の 現代詩人の中でも大きな影響を詩の世界にもたらし、現 代詩の世界の仙人ともいうべき西脇順三郎の詩の世界を、 その典型的な作品を読みながら散歩してみようと思う。

☆円環イメージ

 西脇順三郎の詩には〈円環〉をイメージさせるものが 相当数ある。たとえば詩集『第三の神話』の中の「春の 日」は、「土へもどる季節がまた来た/神々の黄昏の時 をよろこぶ。/人間はあまりに高慢であった/復活のた めの貧困と没落がある。/土をなめその水仙の香りをか げ/あの黒いイボタの実もイバラの実も/復活の王冠を 飾るのだ/悲しみは永遠の宗教である。/元旦のかまど には/枯れた枝豆の木をたいて/ヨメナのかゆをつくり 昔を憶う。/(中略)/思い出は陰暦のめぐりだ。/ (中略)/春の日を語ったのは/昔のことであった。」 というようなものである。この詩は宇宙の回転円環の一 節気に発せられた、土の春の野の叫びだ。また詩集『禮 記』の中の「禮記」という表題の詩、「また季節のかわ りめが来た/粟が刈りとられて/笛を吹く人が多くなっ た/郊外の下り坂を歩いて/友人の家のザクロがたれさ がるのを/見ながら西方の野原を越えて/また坂をあが ってくねくね/考えながら絶対を完全に/避けようと鶉 のように歩いて行く/(中略)/豆のくらがりに豆のふ くらみの中に/はてしなく/二人の地獄のさすらいが/ つづいて行く 」などは、回転螺旋状に永遠という消失 点に向かって無限に収束してゆくものを感じさせる。こ のような傾向は詩人の晩年になるほど著しくなり、詩集 『鹿門』の「元」という作品、「こののいばらの実の/ 夜明けは/この永遠という杯に汲まれて/新しい時間と して流れはじめ/またいつしか去って行く/でも人間よ /この青ざめた野原を/もう一度さまよってみようか/ (中略)/ほんのり山々の影が浮かぶとき/人間よーー はばたきして/時を告げてみようか」、あるいは「ああ 太陽も残り少なく/野原も残り少なく/チョン切られた 桑畑を/さまよう瞳孔にたまる/(中略)/ああきけは るかな崖の上から/永劫のかけらの音がする/山いもを ほりあてた男の/サンランと笑う古の/声だ! (「乾 杯の辞」)」などもそうである。しかしそれは詩人の晩 年の心理的傾きがそのようなイメージを好ませたという ような、単純な理由によるのではなさそうだ。なぜなら、 明確なテーマとはなっていないものもすべて数え挙げれ ば、あるいは西脇順三郎の詩の殆どが〈円環〉イメージ を何らかの形で宿しているのではないかと思われるほど だからである。そこで、西脇順三郎の比較的早い詩集の 中から、この円環イメージを感じさせる作品を一つとり あげて、その詩を辿りながら、詩作品が読み手に何を感 じさせるのか、それによってどのような詩的効果がもた らされるのかなどについて見てゆくことにする。
      磁器   
   考え込みながら歩きつづけた。
   昔住みなれた土人の里には
   あの白い花をつけたむくげの生垣
   と血潮の実をつけた珊瑚樹の生垣
   の間を砂の路がくねってゆく
   すてられた庭が暗黒に繁茂している。
   もちの木の頂が突き出ている。
   屋根の傾きしか見られない
   これが古の都をさすらう我身の
   なさけない存在なのか。だが
   その日は山あじさいの咲く崖を
   下りて宋元の磁器のかけらを
   数万も集めた人の門をたたいた。
   あの美しい半透明な菊の花びらを
   すかして眺め
   夏の日の終りを告げた。
               (『近代の寓話』) 
 時間芸術の一ジャンルとしての文学は、先頭から経時 的に詩の行の順を追って辿って行くことによって作品の享 受が開始される。まず出てくるのが「磁器」というタイ トル。この表題によって、この作品の領域が読み手の心 の中に素描される。ただこの最初の段階では、磁器は原 初的な意味しか持たない。何ものにもなり得る何ものか でしかない。陶磁器に興味がある人も、ない人も読み手 の中にはいるだろう。ただしいずれの場合も、言葉が示 す共通の意味理解が出来ていなければ、そもそも詩の理 解は成立しない。
 「磁器」の製作には陶土にガラス質を多く含むカオリ ンを用いる。焼成温度はもっとも高温で、撥水性の強い 金属的な音を立てる半透明な焼き物が出来上がる。代表 的なものは青磁と白磁。ことに白磁の場合は紙かと見間 違えるようなごく薄手の作品が造られているだけでなく、 絵付けの技法が発達して呉須で様々な模様や山水が染め 付けられた。

 第一行、いきなり「考え込みながら歩きつづけた」と 書き出される。陶工が磁器の制作に行き詰まって、考え 事をしながら歩いているのだろうか。あるいは陶磁器好 きの人間がそのことを考えながら散歩している。散文的 な読解だとそんなことにもなるが、これは詩である。そ うでなくても取り敢えず構わない。誰だって、考え事を しながら歩いたことくらいあるだろう。易者が通りがか りの人を呼び止めて「何か悩み事がありますね。見てあ げましょう」と言うのと同じだと読んでも構わない。自分 の悩み事を抱えて、考えながら道を歩いている、あるい は散歩に出たのである。
 第二行目、「昔住みなれた土人の里」で、歩いている 所がやや具体化されてくる。「土人」は文字通り〈土着 の人間〉のことで、西脇はたいてい民俗学的な純粋な意 味でこの言葉を使っている。太古からその土地に住み着 いている人間。「里」は、山中か田園の中の小集落。遙 か昔から存続している山の中の集落がイメージされてく る。ただし、「昔住みなれた」という詩句によって、こ こは普遍性を一時的に失って、詩人自身に還元される要 素の方が強まる。しかし、西脇順三郎が住みなれていた のは、故郷の新潟県小千谷を除けば、東京都の渋谷ある いは代々木のあたりであり、他にはごく一時期鎌倉に疎 開していたことがある程度だ。いずれにせよ、一行目か ら二行目にかけては、今は住んでいないがその道や町並 みを隅から隅までよく知っている、遙か昔から存在して いる古い町を、考え事をしながら歩いている詩人、ある いは読み手の姿が浮かび上がってくる。よく知っている 古い町を考え事をしながら散歩しているのである。  第三行目、「あの白い花をつけたむくげの生垣」。 「あの」は〈例の〉と読むことが出来る。誰でも知って いるホラあの木槿ですよ。それが同じ垣根の程度の高さ に手入れされて生垣になっている。木槿は、自然に任せ れば高さ約三メートルほどになる落葉樹。葉はほぼ卵形 で、縁に粗いぎざぎざがある。夏から秋にかけて、紅紫 色の花を次々と咲かせる。花は朝、開き、夕方になると しぼむ。花が白色や八重咲きなどの品種もある。ここは 白い花をつけた木槿。詩歌好きなら直ちに芭蕉の「道の べの木槿は馬に食はれけり」の句が想起されるだろう。
 第四行目、「血潮の実をつけた珊瑚樹の生垣」。かた や白い花をつけた生垣に対して、こちらの家のは真っ赤 な珊瑚樹の実がついた生垣である。「血潮」は、比喩的 に烈しい情熱や感情をあらわす。「珊瑚樹」は、常緑の 小高木で、庭木としてよく植えられる。夏に白い小花を びっしりと付け、熟した実は赤くなる。関東南部以西に 分布。考え事をしながら歩いている私は、白と赤のこの 対照的な生垣の間の道を辿る。
 第五行目、「砂の路がくねってゆく」。考え事をしな がら歩いているのは「砂の路」である。砂の道は人の体 重や足音を地面に吸い込む。砂利道は人為的なものとし て想定できるが、「砂の路」はその土地の固有性をあら わすと考えられる。この「里」は河口あるいは海岸に近 い場所になる。「くねってゆく」で、道が生き物の例え ば蛇のように、くねくね動く。動感があるだけでなく、 地形に即した自然の道で、しかも何度も繰り返し折れ曲 がっている。つまり山と谷が複雑に入り組んでいる地形 とその道が浮かんでくる。またここに第一行の考えなが ら」を重ねて読むことも出来る。
 第六行目、「すてられた庭が暗黒に繁茂している。」 住む人がいなくなった家の庭を、庭の視点から表現した。 夏草が伸び放題の様子だけでなく、何か他の情念も感じ られる。人の住む家の生垣の間を通って、その先に廃屋 がある。散歩している詩人の興味をひく庭は例えば、 「(前略)/秋には/とちの実の落ちる庭/池の流れに /小さい水車のまはる庭/何人も住まず/せきれいの住 む/(後略)」(『旅人かへらず』「三〇」)のような 庭である。
 第七~八行目、「もちの木の頂が突き出ている。/屋 根の傾きしか見られない」。散文的に読めば、廃屋の庭 が茂り放題で、向こう側に「もちの木の頂が突き出てい る」「屋根の」傾斜しか見ることが出来ない、というこ とになるが、こんな散文的な読みでは、なぜこの表現が それぞれ独立した詩の行を形成しているのか、その意味 が何も感じられてこないだろう。だいいち、「もちの木 の枝が突き出ている」で句点が打たれているのである。 すると、我々の目に見えるのは、夏草の茂り放題の荒れ た庭に唯一庭木とおぼしき「もちの木」の先っぽだけ。 「もちの木」は常緑小高木。海岸や山野に多く見られる。 四月ごろ、黄緑色の小花を密生し、やがて丸く赤い実を 付ける。庭木として植えられ、樹皮から鳥もちを作る。
 ところで、西脇の詩には修飾・被修飾の関係がよく判 らない、言い換えれば、多様に解釈できるという特色が ある。二行目の「昔住みなれた土人の里には」がかかっ てゆくところは六行目の「……庭が暗黒に繁茂している。 」と解するのが一般だが、句点の使い方に着目すると、 次行の「もちの木の頂が突き出ている。」と読むことも 出来て、どちらかはっきりしない。
 しかし、ここまではまだ叙景として読めるので何とか なるが、八~一〇行目になると散文的な読みでは首を傾 げたくなるような表現になってくる。「昔住みなれた土 人の里」は「古の都」と言い換えられている。これはい いとして、「これ」が「我が身の」「なさけない存在な のか。」の「これ」の指示対象は「屋根の傾きしか見ら れない」と言うことだとすると、〈古都を散歩していて、 せいぜい見ることが出来たのは屋根の傾斜だけというの は、いかにも情けない〉ということになる。有名な神社 仏閣にはどこにも入れず、折角来たというのにただ遠く からその屋根を眺めただけ、という観光客モードで読む と意味は何となく通じるが、冒頭の「考え込みながら歩 きつづけた」あるいは「昔住みなれた」からすると、こ の観光客的解釈で果たして良いのかどうか。「情けない」 のは「考え」ても何も名案が浮かばないからではないの か。「だが」で、しかし観光客モードの解釈で文脈が通 るようにも見える。なぜなら「だが」でひっくり返って いるのは後のどこかと見れば、「その日は」格別で「… …人の門をたたいた。」になるから。
 ところで「山あじさいの咲く崖」は何か意味があるの だろうか、あるいはただの実景なのだろうか。「山あじ さい」は、山地の沢沿いに生えている紫陽花。夏に青や 白色の花びら状の萼(がく)をもつ装飾花に囲まれた小 花を多数つける。「崖を/下り」るというのは、なかな か危険を伴う行為である。
 一二~一三行目、「宋元の磁器のかけらを/数万も集 めた人」とはどういう人なのか。陶磁器蒐集家か、かけ らだけ集めているとすると、単なる好事家か。ただしこ こまで読んでくると、「磁器」は中国の「宋元」代に製 作された磁器ということになる。ここにいたってタイト ルの「磁器」はかなり具体性を帯び、この詩全体のイメ ージもそれなりに限定されてくることになる。  それはともかく、この詩のイイタイコトは散文的には 詩の末尾一四~一六行目、「あの美しい半透明な菊の花 びらを/すかして眺め/夏の日の終りを告げた。」であ ろう。また「あの」が出て来ている。〈暑い夏も終わり になって、やれやれこれで一息付ける、ああ良かったホ ッとした〉ということだ。しかし、そうすると詩の前半 との関係はどうなるのか……。
 一読しただけでこの詩の詩的意味を理解しようとして も無理だ、ということが以上の考察ではっきりするだろ う。この詩のポエジーが感じられるためには、不可逆的 な時の流れの中でだけ理解するのでなく、場合によって は時の流れを遡ったり、あるいは寄り道をしたり、自分 の持っているあらゆるイメージ理解を総動員して読んで みることが必須なのである。そこで次に詩全体を一度バ ラバラにしてみよう。
 さて、一読すると少なくともこの詩の特徴のいくつか にすぐに気付くことが出来る。一つは、出てくる植物は みな夏に花が咲くものばかり。研究者、解説者だとまず ここを料理する。
 「もちの木」の花の淡黄緑色を除けば、「むくげ」も 「珊瑚樹」も「山あじさい」も、この詩に登場する花の 色はすべて白い。おそらく詩人が描いているこの夏の詩 の世界の基調は白である。そして白のイメージは純粋、 無垢、汚れのなさ。ところが、「むくげ」と「珊瑚樹」 とはどちらも「生垣」で、つまり人間の手が入っていて、 それぞれ「花」と「実」を「つけ」ている。花は人生の 盛り、実は人生の収穫を象徴する。しかも付けられる実 はほとんどが赤い実。人生の純粋無垢な側面と、人生の 実を実らせるために行われねばならない様々な「血潮」 の行為。その生垣の間を「くねって」行くわれわれの人 生。人間の人生そのものがこの詩によってイメージ化さ れている。  次に料理するのがこの詩の前半にあるもう一つ重要な モチーフ。「昔住みなれた土人の里」、「古の都」。こ れを奈良にするのか、京都にするのか、それとも江戸に するのか、あるいはどこにするのかでこの詩のイメージ はがらりと変わってしまう。ここに来ると、研究者はた いがい詩人の履歴を持ち出す。「昔住みなれた」、「土 人の里」「古の都」は、詩人の履歴によれば、〈鎌倉〉 である(「昭和十七年四月家族を鎌倉市大町四丁目三番 六号に移す。同年五月、萩原朔太郎死去」。さらに昭和 十九年には、妻子を今度は郷里の新潟県小千谷市に疎開 させている)。詩人は、京都や奈良に「住みなれた」こ とはない。また、江戸・東京とすると、「古の都」と符 合しない。「古の都」を鎌倉と措定すると、この解釈を さらに補強する詩句が作品それ自体の中にあると主張す ることも出来る。つまり「砂の路」、「珊瑚樹」、「も ちの木」、いずれも鎌倉を指していることになるのだ。 みな関東南部以西に自生している植物だからである。さ らに次のような傍証も持って来るだろう。「学問もやれ ず/絵もかけず/鎌倉の奥/釈迦堂の坂道を歩く/淋し い夏を過ごした/あの岩のトンネルの中で/石地蔵の頭 をひろったり/草をつんだり/(後略)」(『旅人かへ らず』「二八」)。そしてこの詩のクライマックス「下 りて宋元の磁器のかけらを/数万も集めた人の門をたた いた。」の詩句で、「古の都」鎌倉説は決定的になる。 この研究者的考察によって、われわれは詩の舞台背景と して、谷(やと)や隧道の多い、海岸に近い鎌倉という 古都を具体的にイメージすることになる。
 以上の理解を背景に、この詩の前半のテーマ「考えな がら歩きつづけた」「これが古の都をさすらう我身の/ なさけない存在なのか。」を感じ取ることが、散文的に はこの詩の読解の眼目である。その内容を理解する手が かりが、「すてられた庭が暗黒に繁茂している。/もち の木の頂が突き出ている。/屋根の傾きしか見られない」 という詩句だが、これも前の考察と同様にして解説する ことは出来る。
 さて、この詩は散文的な読みをすればすでに前で述べ たように「だが」を境に後半になる。その証拠に例えば 後半に出てくる「山あじさい」は、詩の前半に出てきた 花や実が「つけた」のとは違って「咲」いている。また 「数万も集めた」のは、詩の舞台が鎌倉だとすると、鎌 倉時代に行われていた日宋貿易の不幸な難破船から、鎌 倉の由比ヶ浜に打ち上げられた無数の宋磁の破片である と解することが出来る(今でも台風の後に浜辺を散歩す ると、真珠か翡翠のかけらのような宋磁の破片が砂浜に 打ち上られているそうである)。またここでさらに「数 万も集めた人」は誰かという伝記的研究が出来るが、そ れは置くとして「あの美しい半透明な菊の花びら」は、 白菊そのもののイメージを、花紋様の極薄の白磁に重ね て読むのである。「菊」は既に秋を予感させる。この人 物を訪れることによって、詩人は詩の前半で語られた苦 しい「夏の日」に、危険な「崖を下りる」ことによって 辿り着いた人物の所で、「終わりを」「告げ」ることが 出来たのである。  以上の研究者的解説を参考にして、さてもう一度「磁 器」という作品を読んでみましょう。以前よりもさらに 深く詩を味わうことが出来るはずです。というのが、現 代文学研究の一般的あり方であるが、より深く詩を味わ うということこそ、まさにその詩のポエジーを感じ取る ことなのである。しかし、ここまでの時点では読者の99 パーセント以上は恐らく何も感じていないに違いない。 ーーこの詩のどこが良いの?
 

☆西脇詩のもう一つの読み方 

 西脇順三郎の詩は、行ごとのイメージが確立している かと思うと、溶け出し、崩れたかと思うと透明な個体の ようになり、響き合い、反映し合って、一つの不思議な 詩的世界を構築している。それがモダニズム詩の推進者 であり現代詩人の代表者としての西脇詩の特徴でもある が、現代詩に殆ど興味のない人間からすると、詩句ある いは詩の行の関係に常識的、論理的脈絡がまるでない、 あるいは破壊されている、無茶苦茶な詩としか見えない。
 この詩もそうで、はじめ詩人が前かがみになって、何 事か考えながら古都の夏を歩いてゆく実景と思わせる。 「くねって」いる道を辿り、隧道を抜け、山を登り、や がて「山あじさいの咲く崖を/下りて」磁器蒐集家(あ るいは磁器の破片だけを集めているのだとすれば、単な る好事家。しかしこの人物が現実の誰かに特定されなけ ればこの詩の理解が出来ないわけではない。むしろそん なことをしなくてもここでは一向差し支えない。勿論こ の人物が誰かということを追求した研究書もあるにはあ る)の家の門を叩く。ところが、詩の最後の二行「すか して眺め/夏の日の終りを告げた」に至って、これは単 純な実景ではないのではないかという感じがしてくる。
 古都鎌倉を彷徨したのは恐らく現実のことだろう。し かし、詩に描かれているのはむしろもっと非現実的なこ とではないのか。ただ前からの続きの文脈だけ辿って読 むのでなく、詩全体の言葉やイメージの響き合いの中で 何度も読むと、この詩は古都に住む隠者のような人物の 家を詩人が夏の日に訪ね、その一室でそこにあった白地 に呉須の藍色で描かれている、磁器の瓶か壺を手に取り あるいは眺め、そこに描かれていた山水図の世界の中に 詩人が入り込み、彷徨っていたのではあるまいか、とも 思わせるのである。
 描かれている景色は実景ではなく、実は磁器に描かれ た山水図の世界である。「門」も山水画によく描かれて いる隠者か誰かの、柴で作った粗末な門のようでもある。 そして「終りを告げた」で、磁器の中の山水の世界から、 また、この現実の世界に戻ったことが示されているよう に感じられてくる。つまり円環的なイメージが感じられ てくる。
 勿論、「宋元の磁器のかけらを/数万も集めた」「あ の美しい半透明な菊の花びらを」という詩句から、さら には所謂文学的研究によっても、詩人が見たのは宋磁の ことに白磁の破片であって、呉須で絵付けされている皿 や壺などではないと否定することは出来る。それにもか かわらずタイトルの「磁器」によって、この詩の全体が 大きく包み込まれているような印象、効果が読み手には 既に与えられている。その印象・効果から読むと、詩人 が見たのは白磁の皿か壺か何かと見ることも出来る。こ の詩の中で詩人は現実の世界から、磁器の山水の世界に 入って、その中を彷徨い、また現実の世界に出てきたの である。現実と非現実とが重なり、連続し、一つの円環 の世界を形成していると読むことが出来る。そして、こ の詩を繰り返し読むことによって読み手に、何か疲労の 中の安らぎのようなものが感じられてくる。これこそが この詩作品のポエジーである。
 「磁器」が、このような印象を読み手に与える理由は 様々に考えられる。場面が夏の終わりであり、とりどり の花が咲き実がなる古の都を彷徨い、そして知り合いの 家を訪ね、菊の模様の或いは菊の花びらのような白磁の 破片を透かしてみて、暑く苦しかった夏が終わる初秋の 爽やかさを感じ取る、その経過から〈疲労の中の安ら ぎ〉がこの詩に感じられるのだと理屈で説明することは 出来る。しかし、そのような論理的な説明とは異なる、 詩作品による円環的なイメージの暗々裡の造型によって、 詩人が我々の心に呼びかけている、否むしろ我々の心が 呼びかけられている、そういうものがある。この詩の背 後にあって、詩の骨格として造型されている円環のイメ ージを捉えることによって、所謂文学研究とはまた別の 観点から、この詩のポエジーの淵源を分析してみること が出来る。
 円環の図形というと、われわれ東洋人には仏教の曼陀 羅の図像が連想されるがこれを近代的な学問の観点、例 えばユング心理学においてみると、円環イメージから直 ちに「ウロボロス」が想起される。そこで西脇詩に対す る一つのアプローチの可能的な試みとして、また、理屈 では説明不可能とされるポエジーを、何とか理屈で説明 する試みの一つとして、ユングによって研究されたウロ ボロスの表象から、西脇順三郎の「磁器」という作品を 再考察してみよう。何故右に述べたような詩的世界をこ の作品は醸し出しているのか。
 ところで、ウロボロスはユング心理学における重要な 元型(アーキタイプ)の一つであり、蛇が自分自身の尻 尾の先を銜えて、自分で自分を飲み込もうとしているか のような、リングとなっている姿で表象される。このウ ロボロスは神話世界、民俗世界、現代心理学の世界では 様々なものの象徴になっている。まずそれは「永遠(ア イオーン)」の象徴とされる場合がある。この図像から われわれは永遠を概念イメージとして受け取るわけであ るが、それが単なる概念としてではなく、われわれの心 的作用によって自分自身で、ウロボロスのようなものを 心の中に形成してゆくとするならば、われわれはそれに よって詩人が感じ取っていた「永遠」の感情そのものを を、自らの中に醸成してゆくことになるはずである。
 またそれだけではなく、ウロボロスの表象は、円を描 いて封ずるという具体的な行為も示している。それは例 えば特殊な秘密の意図を抱いている人間ならば誰でも、 大昔から用いてきたある魔術的な手段でもある。この行 為によって、魔術的秘儀にかかわる者は外部から迫って くる「魂の危険」に対して身を守る。秘儀に参与する者は、 時としてそこに生じる過剰な心的エネルギーによって、 パーソナリティが破壊される危険に曝されるとい うのだ。また同様のことはトランス状態になったシャー マンや祭りの群衆にも起こることがある。それでなくと も、我々は人間社会の中で既に、現実の様々な軋轢によ って魂が常に崩壊の危機に曝されている。日常生活の中 で常に人間はその心が様々な攻撃に脅かされ、あちこち に傷を受け、血を流しているのである。しかし、その心 の傷はわれわれの目には見えない。
 西脇順三郎の詩「磁器」を読み終えて、ぐるっと回っ て元に戻った、磁器の山水図の世界に入り、その世界を 彷徨い、そしてそこからまた自分の現実の世界に出て来 て、磁器の世界がぴたっと閉じられてしまったという感 じがする。ということは、詩を読む過程で読者の中に無 意識のうちに形成された世界を、この円環で閉じるとい うことにもなる。そしてまさにその印象によって、詩作 品による読者の「魂の慰撫」が完成されるのではないか。 ウロボロスが、読者の無意識層に働きかける、あるいは 心の深層に形成される。「磁器」を読むことによって感 じられて来るある種の安らぎ、即ちこの詩のポエジーの 淵源はここにあるのではないだろうか。
 さらに言えば、円環図像としてのウロボロスは夢に現 れるマンダラ象徴でもあるということだ。そしてまた、 円図形はウロボロスと共に基本的錬金術マンダラの一つ でもある。またそれだけでなく、この元型としてのマン ダラ図はユングによれば精神病患者が快方に向かうとき にその夢に現れるものであり、またたとえば、ナヴァホ ー・インディアンの社会では、病気の人間を地上に描い たマンダラ図の中に入れ、それによって個と宇宙との調 和を回復させ、病気を治そうとする。
 さらにウロボロスには、単に蛇が円環をなしているだ けではなく、蜘蛛の巣を取り巻いているデザインのもの がある。この図に対してユングは「ウロボロスに囲まれ て、妄想と錯覚に誘う感覚世界の蜘蛛の巣を織り続けて いる永遠の織女マーヤー」という説明を付けている。こ の図がインドのバラモンの格言集の題扉のカットである ところから右のような説明をしたものと思われるが、先 に私が述べた〈呉須の藍で描かれた山水図〉という「磁 器」の世界に対する見解にふさわしくない詩句、「花を つけたむくげ」「血潮の実をつけた珊瑚樹」「暗黒に繁 茂」「山あじさい」などの猥雑な色彩が語られている理 由も、〈円環世界の中に架けられたマーヤーの蜘蛛の 巣〉と見ることによって諒解することが出来る。「マー ヤー」とは古代インドのベーダーンタ哲学において、こ の我々の世界をあたかも真実在の如くに現象させる力で あり、仏教的には我々人間の妄想、無明である。
 もっとも、学問的な分析・研究によってウロボロスが その象徴の意味を明確にしたからといって、ウロボロス 的表現をしさえすれば、読む者に直ちにその効果が与え られるとは限らない。分析・整理されたものは既に死骸 であって、生きていはいないからだ。それが生きるとい うことは、読む者の内部に自ずからイメージを形成させ、 それに伴ってまさに詩作品自体がウロボロスであるとこ ろのものとなって読者に感じ取られるということに他な らない。そのためには詩人の才能を必要とするのだし、 西脇順三郎の「磁器」のある種の猥雑さと静謐、現実と 非現実との混淆、あるいは論理的には支離滅裂な詩句や 行の関連など、すべては生きた形成力のある作品を造型 しようとした詩人の苦心による巧妙な仕掛けであると見 ることが出来る。
 さて、以上の考察によって、筆者が西脇順三郎の詩 「磁器」にある種の安らぎを感じる理由を、所謂文学研 究的説明ではなく、詩作品のポエジーという芸術に本質 的で普遍的な角度から、多少なりとも説明出来たのでは ないかと思う。また「円環イメージ」については、ウロ ボロスだけでなく、東洋の仏教における「曼陀羅」図や 「円相」図との関連も考察する必要があるが、ここでは 指摘のみにとどめておく。 

☆おわりに

  現代詩というと口語自由詩が主流となり、その口語自 由詩も戦前から戦後にかけてモダニズム文学運動の大き なうねりを受け、結果として詩歌の持っていた韻律性は 現代詩の中から完全に捨象され、思想性や、概念性、あ るいはイマジズム的なものを追求するのが詩だと考えら れるようになった。それは明治維新の文明開化で自由を 標榜した日本人の努力がもたらした、正当な結果である と評価することも出来る。しかし、現代詩のこの性格は、 読者に詩の理解鑑賞とは、詩句の意味を理解することで あるという、散文と何ら違わない、海水浴に行くのに登 山の装備で出かけるという、およそ掛け違った接し方、 態度を助長することになった。
 詩の素材は言語である。従って作品を読んだ人間はす ぐにその意味を取ろうとする。これは極めて当然のこと である。とはいえ、芸術と名付けられるものが皆そうで あるように、作品の魅力と本質は概念的な単なる意味や 理屈を越えたところにこそある。詩も例外ではない。し かし詩が無条件に意味を取りたくなる言語を素材とする ということだけでなく、それと前に述べた日本の近現代 詩の展開の過程とが輻輳して、詩はその意味の面だけで、 理屈で理解するものだと考える人が普通になってしまっ た。この辺の事情は、本稿の最初の考察を見れば明らか である。
 現代詩の芸術作品としての失速の原因は、まさにここ にあった。その情況を揶揄あるいは戯画化して西脇順三 郎は次のような詩を書いている。「古い池の中に/かえ るがとびこむ/音がする」(詩集『鹿門』「崇高な諧謔 」)。芭蕉の有名な句「古池や蛙飛びこむ水の音」を下 敷きにしていることは誰の眼にも明らか。むしろ殆どそ のまま。パロディですらない。ただし、この芭蕉一代の 傑作と賛嘆される作品も、ただ「古い池の中に、蛙が飛 び込む、水の音がする」とその意味を取っただけでは、 どこが一体傑作なのか誰も納得できないだろう。それだ けでなく、この「崇高な諧謔」という詩自体、何が良い のかまるで解らないというのが、この詩を読んだおおか たの読者の感想だろう。現今の詩の享受のされ方の実態 がここに実に明瞭に露頭している。
 芭蕉は、俳諧作品の良さを知るには「舌頭に千転」せ よと勧めた。韻律を持ち、暗唱しやすい俳句ですらその 作品の享受、理解には何度も何度も口に出して唱えてみ ることが必須要件なのだ。この真理は詩歌の一ジャンル である限り、現代詩にも当然通じる。
 ところが現代詩はその後生大事の韻律を、明治百年を こえる疾走のさなかに、次々と脱ぎ落としてしまったの である。残ったのは真実の裸の本質と現代詩人が考える、 意味と思想性。あるいは近代詩人の個人的苦悩の表白、 愚痴の無限悪循環。あるいは書いている本人にさえわか らない意味不明のガラクタ。詩はますます袋小路に入り 込み、秘密クラブのようなものになり、その怪しげで薄 暗い扉を叩くごく一部のはみ出し者、酔狂な人間のため だけのものになっていった。
 ここで紹介した西脇順三郎は、現代詩の世界ではまさ に仙人のような人物で、生前はノーベル文学賞の噂も出 たほどの世界的な詩人である。しかし、そんなことは誰 も知らない。何しろこの詩仙が詩集を出しても、せいぜ い限定で千五百部程度でしかないのだから。責任は現代 詩自身にある。それは確かだが、初等中等教育における 詩歌指導、あるいは専門家とされる評論家、研究者にも 一半の責任はあるであろう。研究・批評は一般の読者を 詩歌、あるいは文学、あるいは芸術という人間の文化の 宝の山に導くための案内人なのである。そのガイドが道 を誤っていたら、誰も秘宝の在処に行き着くことは出来 ない。
 この小論は、繰り返し読む気にならない、またその故 に繰り返し読む価値がない、と思われがちな韻律を失っ たかに見える現代詩の中に、内在的韻律ともいうべきも のが存在すること、そしてそれは舌頭に千転するという 読みの過程でポエジーとして、例えば西脇の「磁器」と いう作品では読んでいる人間への〈魂の癒し〉として、 自ずから感じられてくるものであること、などを文学研 究のまったくの脇道から、ちょっとした理屈を使って解 説をしてみたに過ぎない。しかし、詩人がいない社会と いうのは、不気味な社会であるという最初のやや大袈裟 なテーゼが、まんざら誇張でもないということくらいは、 わかっていただけたのではないだろうか。