guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

随想 生きて、いる、ことと、死んで、いないこと。

「生きて、いる、ことと、死んで、いないこと」

 

 世紀末と煽(あお)り立ててみたり、新世紀と意気込んでみたり、相変わらずのマスコミの空騒ぎに踊らされて、自分でもついそんな気になってお台場のイベント会場にうかうかと行ってみたり。しかし、ちょっと考えてみればおかしなことで、西洋のキリスト紀元で区切ってセンチュリーだミレニアムだと言っているわけだから、根っからのキリスト教徒でもない限り、世紀末だと騒ぎ立てるのは相当奇妙なことなんじゃないだろうか。それにしてもこう四六時中煽り立てられるといわゆる「集団ヒステリー」で、何だかそれらしい、変なことが起こってしまったりするから、他人ごとと笑ってもいられない。
 一方、果たしてどのくらい前からこの「日本」と今では呼ばれている島に、人間が住んでいたのかは現在でもよくわかっていない。従って何をもって土着というのかも明確にはならない。しかし、縄文時代人の宗教、弥生時代の宗教(先史時代のものに関してはせいぜい宗教観程度に言っておいた方がよいのかもしれないが)、日本のどの時代を風靡した宗教であれ、全世界全地球を席巻(せっけん)しようなどという野望を抱いたものが、この島に出現したことは絶えてなかったということだけは確実だ。だからというかそのせいでというか、現在の日本という国家に所属し日本国民となっている大半の人間は、宗教に関しては実に寛容というか無頓着である、というか節操がない。
 この傾向は太平洋戦争後の日本社会において特に加速された。アメリカ流のきわめてオプティミスティックな民主主義が導入、戦前の政治社会の全面を覆っていた日本的宗教色は一掃。だけでなく、戦後日本の社会思想の半面を構成した共産主義思想が、宗教を阿片として排斥したことも戦後日本人の無宗教性を推進した。おそらくごく少数の人を除けば、日本人の大半は無宗教だと言ってよい。ある宗教を信じているというのは、その人が属している宗派の寺院に定期的に通い、宗教的儀礼に参加するということである。クリスマスだからといって教会に行ってみたり、大晦日・新年だからといって寺社に行ってみたり、一年に一回程度まるでコンサートや観劇にでも行ってみるという乗りで出かけるのでは、信者でも何でもない。当人も信者として出かけているつもりは毛頭なだろう。
 このような社会では、人間にとって根本的な実に正当で単純な規範が自明性を持たなくなってしまう。たとえばキリスト教の十戒。あるいは仏教の五戒。いずれもその最初にあるのは生きとし生けるものの命を奪ってはならないという戒律である(この背後には実に無造作にあっさりと人を殺すという非道な現実があるのはもちろんである。勿論だからこそこの戒律があるのだ)。「なぜ人を殺してはいけないのか?」が最初にあるのではない。最初にあるのは「汝、人を殺すなかれ。」「不殺生」である。
 愚問ともいえるこの問いが、?マーク(疑問符)にされて問題になっているのが現代の日本という社会だ。この愚問は、実は脳死判定問題の議論と同根である。死の問題は生の側からだけ論じても、誰もが納得する結論は出ない。ところが現代の日本人で、死の側から発言できる人間はいるわけがないから、この論議は空回りするしかない。そこで臨死体験などというものがしゃしゃり出てきたりする。ところがこの臨死体験というものも、その言葉が示すとおり、死にそうになった人間の報告ということであって、死んだ人間が語ったことではない。生の側から死を見ている点では、ごく普通の生きた人間が死を語ることとそれほど大きな隔たりはない。暗い洞窟を抜け、川を渡ると、明るくきれいなお花畑に出たとか、気がつくと自分は天井から部屋を俯瞰している。部屋の真ん中に自分が寝ていて、周りには家族と医者が見える。声は聞こえないが、医者の表情、家族の泣き顔、ぴくりともしないで横たわっている自分の姿からすると、どうやら自分は死んでいるらしい。この報告は、三途の川や仏教の葬儀における七七日(なななぬか)の法事に符合する。中陰あるいは中有(ちゅうう)という。死んだ人間の魂は四十七日の間、その家から離れないというのである。つまり、この世とあの世との中間にあって、どっちつか
ずの状態になっているので、絶えず法事を営むことによって、死者に死んだことを納得させ、あの世におもむかせるというのだ。これは人間に霊魂を認める立場である。霊魂などというものを認めない現代の物質主義、科学主義からすると、まるでばかばかしい報告であり、宗教儀式である。臨死体験は「体験」ではなく、人間の一生にインプットされたプログラムが働いているだけで、臨終の時にはエフェドリンというモルヒネに似た癒しの物質が脳に分泌されるようになっており、その結果の脳内現象にすぎないと説明したりする。
 いずれにしても、それらはすべて「説明」に過ぎず、死に瀕した人間、あるいは死ななければならない運命に直面した人間を納得させもしなければ、安心させもしない。まして、非業の死を遂げた人間に接した人々に、大きな疑問と理不尽さとを感じさせずにはいない。
 つい先日、東京の山手線の新大久保駅で、ホームから線路に転落した酔客を助けようとした人が二人、進入してきた電車にはねられてもろともに命を落とす事故があった。一人は韓国の青年である。酔って落ちた人はひとまずおくとして、救助しようとした人及びその家族にとってはきわめて理不尽な、非業の死である。誰もが感じるこの大疑問には、誕生と死までの線分を唯一の実在だとする観点からは何一つ答えは出てこない。運が悪かったね、という一言であとは知らぬ振りをするのが関の山だ。
 そうとしか言えないのは、現代の日本人には、死生観のうち、生観だけはあっても、死観はないからだ。しかも、その生観は死観を背景にしていないために、生と死の一番肝心な問題に対して、たとえばこのような非業の死に直面したとき、何の効力も発揮しない。現代の日本人の大半は、死の意味はおろか、生の意味も知らずにうかうかと生きている。
 永年にわたる人類の知恵に即してみれば、死生観を育み形成してきたものは、それが原始的であろうと近代的であろうと、宗教だと言わざるを得ない。従ってほとんど無宗教の現代日本人は、確乎とした死生観を持っていないということになる。死が見えなければ、肝心の生すら見えない。だから、人を殺してなぜ悪いのかという愚問が、平然とまっとうな顔をして発せられる。
 現代日本人の死生観の代表的なものは、いわゆる知識人と称せられる人々の考え方に集約されるだろう。それは例外なく進歩主義的であり、近代的であり、合理的である。従って当然、死後の世界というものを想定しないし認めない。戦後民主主義教育の申し子と言っていい団塊の世代の大半が、無宗教こそ正しい人間のあり方だと思って育ったのと同じように、死んだらすべてがなくなってしまうとしか考えない、考えられない。しかし、死んだら終わり、というのでは、それまでの自分の生がいかにも無意味になるから、自分の業績が後の世代に引き継がれると考えることで、死に対してかろうじて自分の生を意味あるものにし、死を納得しようとする。あるいは、平凡な市井人が自分の子孫の存続をもって死に対する自己の生の意味を確認するのも、似たようなものである。また、人倫からはずれ、アウトロー(無法者)と呼ばれるヤクザが、自分の家族ことに子どもを溺愛するというのも同じ心理から出ている。しかし、生きている人間にとっては、たとえ死によってすべてが無に帰すと考えようと、死が最大の恐怖であることに変わりはない。
 従って合理的な西洋近代人はたとえば次のように考える。私などが浪人で駿台に在籍していたとき、英語の授業でイギリス人の随筆などを講読すると、こんな文章が出てきたものだ。すなわち、人は死を物凄く恐怖するが、考えてみればこれはおかしなことで、誰も自分が生まれる前のことを不安に思いはしないだろう。自分が生まれる前のことをいっさい不安に思わないのなら、同じように自分の死後のことを思い煩う必要もないではないか。死に対する幾分の安心を与えるものの、これは所詮、理屈でしかない。
 この合理精神の道化のようなヨーロッパ人のことを考えると、決まって私は一人の日本の坊さんを思い出す。空海である。日本各地に弘法大師伝説があり、今でも四国八十八カ所の巡礼が行われていることからも分かるように、古来多くの日本人に慕われている宗教者だ。空海の著作は現在では『弘法大師全集』という形でまとめられている。がしかし、それは江戸時代の版本を元にしたもので、厳密な書誌学や訓点研究によったものではないためかなり好い加減である。空海の著作そのものに迫るためには、本人直筆のものが最良だが、『風信帖』などごくわずかを除いて現存しない。平安時代の古鈔本(こしょうほん)でも残っているものは少なく、鎌倉初期のものだとかなり良い部類に入る。その一つに金沢文庫所蔵の『秘蔵寶鑰』(ひぞうほうやく)がある。大学院の学生の時に、密教の訓点研究をしている友人に引きずられて、この作品の翻刻(ほんこく)の手伝いに北条氏由来の金沢文庫に通ったことがある。『三教指帰(さんごうしいき)』程度は読んでいたが、この空海の般若心経とも言うべき『秘蔵寶鑰』に関しては、何も知らなかった。
 参考のために前もってコピーしてもらった全集判『秘蔵寶鑰』の冒頭を見て、私は言いようのない、怖れとも慄(おのの)きともつかぬ深い衝撃を受けた。次のような文字の連なりがいきなり私を襲ってきたのである。
  生生生生生始瞑
  死死死死死終瞑
これは一般には「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに瞑(くら)く、死に死に死に死んで死の終わりに瞑し」と読む。解釈は様々にある。しかしこの字面には解釈などという生やさしいものを超えた迫力が満ち満ちている。
 だがそれだからこそ、この字面の恐ろしさから逃れるために、私たちはすぐに解釈に逃走する。典型的なものは二つ。一つは私たちの一生が始めから終わりまで瞑いというもの。いま一つは生まれる前が瞑く、死んだ後も瞑いという解釈。正解はおそらく「始終瞑」、生まれる前も、生きている間も、死んだ後も、瞑いということなのだろう。この「瞑」、字義は目をつむったときの暗さであると同時に、何も見えないという意味を含み持っている。そしておそらく、『秘蔵寶鑰』(ひそかにかくされているたからのかぎ)は、この「始終瞑」を開く宝の鍵なのである。しかし、残念ながら私たちの翻刻作業は、まさに佳境に入ろうとしたときに文庫側の一方的都合で原本の閲覧ができなくなり、頓挫(とんざ)してしまった。先にも書いたように私は友人にただくっついて行っただけなので、この事態にさほど打撃を被ったわけでもなく(友人の人生の進路はこの事件で思わぬほど曲がってしまったが)、それきり空海のこの著作のことは私の視野から消えてしまった。だからこうして思い出す機会があっても、出てくるのは冒頭の恐ろしい迫力に満ちた漢字の連なりだけで、実は肝心の中身は今でも何も知らないのである。
 さて、現代の日本人がころりと失念してしまった生まれる前と死んだ後を、過去の人類はどのように考えていたのだろうか。典型的には三つの類型がある。すなわちキリスト教的観念と、儒教的観念、そして仏教的観念。私はカトリックの幼稚園に入れられたので、キリスト教とまったく無縁ではない、むしろ宗教的幼児体験としては仏教よりキリスト教の方が強いと言っていいはずの人間だが、所詮幼児で、覚えているのはクリスマス。日曜のミサにたまに出席させられると、洗礼を受けた信者たちが祭壇の前で牧師から口に受ける何か白い食べ物、あれは何だろう、秘密の美味しいお菓子に違いない、自分も食べたいなぁとうらやましがった程度でしかない。小学校からは宗教とはまるで無縁の、いわゆる戦後日本の民主主義教育を受けたので、完全に無宗教の人間になってしまった。だから、本来の意味での死生観は何も持たないまま歳だけはとってしまったのである。
 閑話休題。人類の死生観の三類型である。知ってのとおり、キリスト教とイスラム教は同根と言っていい。従って死生観もほぼ同じである。人間は唯一絶対の神によって造られ、最後の審判の時にすべての人間は一人漏らさず、神の前に引きずり出されて審判を受け、天国に行くか地獄に行くか決められる。アダムとイブから現在に至るまで、無数の人間が生きて死んでいるのに、どうやて裁くのだろうなどと言うのは人間の心配で、全能の神に不可能はない。
 しかし、死んだ人間はやがて腐り、骨になり、それもやがてボロボロになり、跡形もなくなってしまうではないか。小学生並のこの疑問に答えてくれたのは、井筒俊彦というイスラム学者の著作であった。最後の審判の朝、全宇宙をとよもすラッパが鳴り響き、すべての人間はあたかも昼寝をしていた者が今しがたその昼寝から覚めたかのごとく血色の良い生き生きとした姿で墓から起きあがり、二人の天使に両側から介添えされあるいは拘束されて、最後の審判の神の前に連れられて行くというのである。
 従って実に粗略に結論づければ、キリスト教徒、イスラム教徒にとっては、生まれる前はないのであり(神によって創造された人類の初めのアダムとイブの子孫だと言うことだけ、だからこそ家系を大事にする)、死んだ後は天国か地獄しかない。だからこそ全能の神に帰依せよ、という教えが現実性を持つ。これと似て、もっと現実的なのが中国の儒教の死生観である。
 中国にはいわゆる宗教はないとされる。儒教が古代から大きな影響をふるい、その代替を果たした。我々が中国人の土俗的宗教だと考える、キョンシーなどが登場する道教にしたところで、古代の神仙思想に仏教の影響が加わり南北朝時代にどうにか形を取ったものだ。孔子に遅れることほぼ千年である。孔子は最愛の弟子顔回がなくなったとき川の畔で「逝けるものはかくの如きかな、昼夜を舎(お)かず」と嘆いたとされるが、死後の世界はこの生きている現実世界と同じように存在すると考えた。この世との違いは次の点だけである。すなわち、死後の世界での禍福は子孫の祭りの如何による。ひっくり返せば、死者の子孫がどれほど先祖の祭りをしてくれるかその程度によって、死者の死後の世界での栄耀栄華、貧窮困苦は決まる。服喪三年。士大夫の場合、その親が亡くなったときの喪に服する期間である。いっさいの公務を退き、三年間ひたすら亡き親の冥福を祈る。現代ではおよそ考えられないこの長期にわたる服喪期間を規定したのは、中国人孔子の死後の世界観による。
 つまりキリスト教徒においても、中国の儒教世界においても、死後の世界はあると考える。ただし、キリスト教徒あるいはイスラム教徒の場合は唯一全能の神による最後の審判によって死後の世界が決定されるのに対して、中国人の場合は子孫の祭りに死後の世界のあり方が委ねられるという違いはある。そしてどちらも生まれる以前については、親ということは強調するが、両親から生まれたということ以上の詮索はしない。親がいるから子がいるのは当然で、人間が神によって創造されたのは自明のことなのである。
 さて第三の類型は仏教的死生観である。我々日本人の伝統的な宗教観の、少なくとも近代以前までの日本の文化伝統の根幹をなしているものが、これだ。仏教の死生観を一言で表せば、「輪廻転生」。そしてこれに「六道」が加わる。キリスト教、儒教においては人間が人間に生まれることは当たり前のことで、ゴキブリから人間が生まれてくることはない。ところが、仏教はそんなこともあり得ると考える。もちろん人間からゴキブリが生まれることもある。人間が特別な存在だと考えるキリスト教、儒教に対して、仏教はそうは考えない。人間も他の動植物、あるいは土砂瓦礫と同様だと考える。そして生きとし生けるものの世界、あるいは存在の有り様を六つの次元で考えた。つまり六道である。天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄。そしてこの六つの世界は現実の世界であると同時に、死後の世界でもありまた生まれる以前の世界でもある。この六道の世界を、前世の業(ごう)によって永遠に生まれ変わり死に変わりするというのが、仏教の死生観である。従って、仏教的死生観には、生まれる前、つまり前世があり、生きている今、つまり現世があり、死んだ後、つまり後世あるいは来世がある。こうしてこんな文章を書いたり、読んだりしているのは、前世の業によってたまたま現世に人間に生まれたからである、と仏教の死生観は教える。
 だからたとえば非業の死というはなはだ理不尽な出来事について、無宗教の人間にとって得心のゆく説明になりそうなのはこの仏教の死生観だろう。日本の中世時代に生きた坊さんが、あるお経を読んでいてふと次のような一節に出会った。「今生で謗(そし)らるるは、前世の脚債(きゃくさい)なり」。こうして人間としていま生きていて、様々に誹謗されたり中傷されたりしてつらい目に遭うのは、そのようにして前世の業の借りを返しているからこそで、あるいは実利的な表現をすれば、誹謗中傷されることによって自分の前世の悪業が消失し、良い後世を期待することができるのだという文言である。この考えによれば、人々が痛ましく思う非業の死、それは見方によっては当人の脚債をそのような痛ましい形で返済することによって、新たなより良い生まれ変わりが実現されるのだということになる。
 もっとも、これは意図的に悪用することもできる。敵対する組の親分の玉(生命の意味のヤクザ言葉)を取るための鉄砲玉にされるヤクザの子分に、親分が含める因果がそれだ。ムショ(刑務所)から出てきた暁には、組幹部の椅子を用意して待っているぜ。大概そんなことにはならない。だが、本人は大まじめに信じて、馬鹿なことをやってのける。現世のことであれば因果がはっきり分かるから、ムショから出てきてそうでないという現実に直面した子分は、親分亡き後ろくでもない権勢を振るっていた兄貴分に鉄槌をくだすとか、身を持ち崩した生活をしたまま人生を終わるとかいうことになるが、死んだ先のことは結局人間には証明できないから、この大まやかしが絶大な効力を発揮することが結構ある。その典型がインド社会だなどとよく言われる。今でもカースト制度が根強く残っている。道端には行き倒れの人間が掃いて捨てるほどいる。そこにマザーテレサのようなヨーロッパ人が行って必死になって救う。ところが中には、余計なことはしないでくれと怒る行き倒れもいる。何もしないことによって、少なくとも悪業を積むことはない、こんな貧乏に生まれたのは前世の業だから仕方がない、だから何もせずできるだけ速く今世を終わって、来世の生まれ変わりを期待するんだ、というのである。支配者、権力者にとっては実に都合の良い人民だ。
 人間と生まれた自分の限りある一生を、どのように生きるのか。それは結局自分がどのような死生観を持つかによるということはこれで明白であろう。そしておそらく、これが絶対だという死生観はないのである。キリスト教、イスラム教が教えるもの、儒教の教え、仏教の六道輪廻、あるいは現代の生化学が必死になって探求しているDNA、ヒトゲノム等々。おそらくどれも真実のごくごく微小な一部は言い当てているのである。しかし、全真実ではない(結局人間には特殊を貫き通して、普遍に超出するしか道はないのだろう)。それらの断片を総合して生きて働く死生観にするのは、我々一人一人なのだ。その大きさが宇宙のマクロとミクロのちょうど中間、その内部機構は全宇宙に匹敵するとされる、まるで宇宙それ自身の雛形とされる、そういう存在の人間、我々一人一人なのではないだろうか。
 たとえば現代の宇宙論の最先端の理論の一つにビッグ・バン説がある。何もない状態からあるとき突然大爆発が起こり、この宇宙が開闢したという。そしてこの宇宙も永遠に存在するわけではなく、いつかあるとき発生したのと同じように消滅するというのである。様々な宇宙現象を観測し、科学的に思考した結果の宇宙論だということだが、これは見方によればまさにキリスト教的な世界開闢であり、キリスト教的な終末思想である。さらに同じような子宇宙がまたどこかで発生し、宇宙自体が発生と消滅を繰り返すという説に至っては、仏教の輪廻転生とそっくりだ。人類の文明の伝統の中にある死生観が、無意識のうちにこのような考えに反映していないと言い切ることが果たしてできるだろうか。
 しかし、この宇宙の気の遠くなる悠久の営みとは別に、一方でいくら医療が進歩しても高々生きて百年程度という私たち人間の生命がある。孔子が言うように天地は無情だが、私たち一人一人は有情である。無意味に生きることもできなければ、無意味に死ぬことはなおさらできない。生まれたこと、生きること、そして死ぬことに意味を与えてくれるのは、自分自身の死生観である。生きて、いるという。死んで、いないという。果たして、本当に生きいて、いるのか、本当に死んで、いないのか。おそらく現代日本人の大半は、実は確実なことは何も分からないまま、酔生夢死の生を生きているだけなのだ。だからこそ、ほんの些細な欲望と衝動で、結局得たのは何百円とか何千円とかでしかないのに「人を殺す」という、ボニーとクライドの真似を幼稚園児がしたような、女子高生と大学生のカップル強盗などが出てきたりする現代の日本社会なのである。