guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

小説 うろ漏山のイナコ

     『うろ漏山のイナコ』 

                            

第一章 どさ、えぐ。

 

私自身のことを話させていただく退屈な時間を少々お許しいただくとして、オリエンテーション的な身の上話。これはおそらく戦後のサラリーマン家庭の子供が辿った、一つの典型的な例である。
  始中終、転勤する家の子供として私は生まれた。「柔らかな心に、人生苦が直接打ち込まれる」と言ったのは小説家の葉山嘉樹だが、私の「子供心」に無意識のうちに入り込んだ、自分の存在に対する根無し草の思い、自分の居る所はここではない。此処ではない、何処かにある、しかしそれが何処かはわからない、という何時も常に何かに追い立てられているような思いが、このしょっちゅう起こる父親の転勤に伴う家庭の移動という事態に由来したのは間違いない。子供心に、無常観が芽生えたと言うことでしょうか。いや、無常観という上等なものではなく、むしろもっと幼稚な「私の居場所はここではない、私はどこかへ行くのである」という程度のことで、それは例えば私が習い覚えた言葉に端的に表れている。
 なるほど子どもだから、環境へのしなやかな適応力だけはある。新しく移り住んだ土地の言葉を直ぐに話すことは出来た。なにしろその土地の言葉が話せなければ子供にとっては死活問題、遊び相手であるその地域の子供達の仲間に入る事は絶対に出来ない。……彼らの言葉を話すしかない。しかし同時にその裏側で、これは私の言葉ではないという思いがいつも無意識のうちに自分の中にあった。では、私自身の言葉は、何であるか。そんな言葉は元々無いのである。だから私は、自分にとっての確かな言葉として、国語の教科書、日本放送のアナウンサーが話す言葉、を仕方なしに選び取った、というよりそれを選ぶしか他に方途がなかった。それはおそらく不幸なことだったが、お陰で田舎から東京に出ても言葉で苦労することはなかった。
 お仕着せの言葉の統一を目指した明治維新による日本という近代国家の施策は、百年も経とうとする戦後のこの時代でも、まだ根強く残っていた。それは富国強兵のスローガンの下、北海道から九州・沖縄までの「国民」を一元化するための時の権力者による強引な政策の一環であったが、方言蔑視の風潮はその残滓として長い間社会の底に沈殿していた。標準語が話せず、方言を話す者を「田舎者」と侮蔑する風潮である。謂われのないあまりに理不尽な差別に、標準語が話せないという、ただそれだけの理由で自殺する集団就職の少年が跡を絶たなかった。そういう時代である。
 人生のどの場面でも、自分の居る所は此所ではない、この先の何所かにあるのだ、いつも無意識のうちに、私はそう感じていた。だが、その先の自分の居るべき所とは何所なのか。皆目分からない。――そんなもの、元々分かるはずがない。というより、何処にもあるはずがない。なぜならそれは自分自身で見出し創り出していくべきものだから。勿論、凡庸な小学生の少年に、それが自分自身で自覚し見出して行くものであるということなど、思い寄るはずもなくただただ、自分の居るところは此所ではない、何所か別の所にあるのだ、と漠然と直覚的に感じていただけのことに過ぎない。
 一方で私とは反対に、何所にも行く必要がない人、どこかに行かなければならないという想念など、毛ほども浮かばない人達もいる。土着の、古来の共同体の中で何世代も或いはもっとずっと長い間を生き続けて来た人々である。その種の人達は、しかし、どこにも行けないこと、どこかに行く自由がないことを、私とは逆に常に不満に思っているのだった。
 もっとも、そう思っている人たちも、やがて戦後の高度経済成長期になると、否でも応でも都会に出て行かざるをえない状況に追い込まれる。経済発展、と言う大義名分で人員の都市集中化が図られる。都会に働きに出ない人間は馬鹿だという風潮(あの方言蔑視とまったく同一の構図)、並びに、都会に働きに出なければ満足に生活できないという経済構造の構築による現実社会の変形。明治の帝国主義憲法下の社会だろうと、戦後の民主主義憲法の下の社会であろうと、自分こそが社会の支配者と自任しかつ錯覚して、我こそが正義であると思い込んでいる連中のやることは、判で押したように同じである。
 日本人は自分の土着の場所を捨てて、何処か「都会」と言うところに移住する以外に、生きる道を断たれてしまった。たった数匹の狼に追われる無数の羊のように、土着の、先祖伝来の土地で殆ど自給自足的な生活を営んで来た田舎者の大半の日本人が、牧場の柵の中の都会へと追い立てられる。残ったのは、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんだけとなり、田舎は体の良い、姨捨山となった。今では、かあちゃんも追い立てを食っている。そしてこの現実を隠蔽する仕掛けが、マスメディアの様々な局面で常に行われた。古典的には、故郷に錦を飾るという宣伝、吹聴。これには様々な変奏曲があり、かつ、今でもこの調子外れな歌は鳴り響いている。なんであの娘は東京へ行っちゃった、花の東京のド真中、オラ東京サ行グダ、かえろかなー、帰るのよそうかなー。帰ってこーいよ。木綿のハンカチーフ、……。
 閑話休題。そういう訳で私が感じていた「此所ではない、何処か他の所」というのは、きわめて漠とした感じの春の淡雪のような強迫観念でしかなかった。そんな現実の場所が、この地球上のどこかに存在して、私を待ってくれているわけではない。しかし私は人生の途上、日常の些細な場面々々で、自分の居るところは此所ではない、自分はどこか別の所へ行くのである、と絶えず無意識的に駆動されていたことは間違いない。

  

第一節 非知との遭遇

 

 この世界、この宇宙が生まれるその遙か前、そしてこの世界、宇宙が破滅消滅してしまう地平線水平線の先の涯まで、つまりは劫始劫終、それこそ数えることができない、人間の頭には到底収まりきらない、想像を絶するからこそ、ゼロといってもほぼ変わりがない、それと同じだけの人間が生きて来て、死んで行って、そしてこれからも人類の絶滅の時までまた生きて死んでゆくのだが、そうすると、さすがに比類を絶した、テレビでも漫画でもどこでも何でも見たことがない見ることが出来ない、面白い人間がその辺にホラチラホラと出て来る。
 しかし、私という一人の人間にとって世界は、時間的にも空間的にもあまりにも広く取り返しがつかないほど果しがなさ過ぎる。どこかには居るといっても、そういう人物にはなかなか出会えない。また幸運なことに仮に出会えたとしても、それが毎日しょっちゅうだと、おそらく辟易してしまうに違いない。こういう人物は例外なく強烈な、ほとんどの人が逃げ出したくなるような、ドリアンよりも物凄い臭気を放っているから。実際に付合うよりはむしろ間接的に話を聞くことで、かえって自分の世界が十方無限に開けて、むしろいい気分になれる場合の方が多い。
 広大無辺の宇宙の中の、そんな人物の一人、ウロ漏り山のイナコの話である。
 ウロ漏り山は、我々が存在している銀河系の端にある太陽系、地球というその第三惑星に浮かんでいるちっぽけなミミズみたいな島、ジップンとか言う国になぞらえて言えば、寒冷地、雪国に相当する地理風土にある。しかし、雪国とは言っても幾千年も前の遙か古代にはかなり温暖だったらしく、現代でもさすがに夏の盛りはまったく赤道直下のパリ島ほどにも暑い。ことに地球上の何所でも起こる近代化、地方活性化の名の下に黒いアスファルトでこてこてに舗装された場違いに立派な田舎道ほど、照り返しがきつく、たまさか訪れた都人の田舎に対する嫌悪感を、それでなくとも増幅させるという図式の構築が完成している。
 両脇が水田で、どこにも日陰のない真夏の正午の道を、顔を顰め、汗を拭いながら歩いている。なぜこの国の現代人には、特に男の世界から、帽子を被るという習慣が無くなってしまったのか。その原因はおそらく、都市化し大量の労働力を牛豚のようにすし詰めにして屠殺場に運ぶ、過酷な通勤電車の出現によるに違いない。
 パナマ帽を被ってくるのだったと既に手遅れの後悔を、頭の中を渦巻いている熱風の中でしていると、顔を私の方つまり正面に向けた男が、どうしたわけだろう、後ろ向きに歩いて来る。まだ遠目だからそうかどうかよく分からない。しかし確かに身体は後ろ向きになっている。ところが顔は真っ直ぐこちらを見ている。ように見える。後ろ向きでしかも実に円滑に歩いてくる。おまけに、着ているのはこの夏の日盛りに、どうも黒い防寒服のような。そのオーバーにしてからが、いまどき誰も着ていない、時代錯誤の蝙蝠のマントのような異様な出で立ちだ。
 暑さを忘れて、私は思わず立ち止まってしまった。ほぼ十数年ぶりに、祖母の墓参りをかねて立ち寄った父親の故郷の、いつの間にか無人駅になってしまった駅舎を降りて、かつては狐の棲家の山裾の、小川のほとりの分厚い藁葺き屋根の、今では叔父一家が住んでいる農家に行く、一本道を歩き始めたばかり。
 思わず私は、「出た!」と夏の日盛りの道に凍り付いた。子供の頃、夏休みでこの村に泊まりに来ると、村の家のここかしこ、あちこちに盆提灯の明かりがぼんやりと涼しげに懐かしげに招くように点る。長い夏の日が暮れると、昼間の太陽の青空の明るさへのまるで反動のように、夜は自分の手の指先すら見えない漆黒の暗闇となる。どこから何が出てきても不思議ではない太古の闇に、里も家も人も、すべてが呑み込まれる。その夜の中に幽かに点る灯りの下で、いとこたちの昔語りが始まる。
 川下の柳本の家に、めぐいおなごがおったど。一人娘で、それあ親どもは大事に大事に育てた。年頃になって縁談があちこちからひっきりなしにある。したて、このあまっこはどれにもうんと言わね。親、困ったど。さてはだれか好いてるおとこがいるなだべが。聞いても、何も言わね。親、困り果ででこのままだ、嫁にいぐのもいげね、と思案してはで、あまだのはなしのながで、いぢばんいいえさ、嫁にやっこどにすた。
 その婚礼の日の朝。花嫁衣装の準備ばして、緋色の長襦袢着せて、あれあ、うづぐすごど。はなさいだみでだっちゃ。これに白無垢着せて、角隠すすたら、なんぼが。後は迎えが来るまでにと、手伝いのおなごしはほがのしだぐもあまだあるで、部屋がら出払ったど。やがて迎えの駕籠の到着の合図、むがさり歌が川下の鮎が淵のくねってるあだりがら、風に乗って聞けてきた。んだば嫁女の着付けの最後の仕上げばすねばと、おなごし、奥の寝間に戻ってみたっけ。
 嫁がどこにもいねっちゃ。一どぎにえらい騒ぎだぜ。あれ、きんちょして納戸さ籠もったんでねべが、いんや、こんげなどぎは、などどここかすこ探したども、どごにもいね。ちょうどこんなだげさ、真っ暗で何も見えねぐなるまで探したっけが。
 それが明くる朝、田圃も切れて、それでなくても寂しい村がひときわ淋しくなる山の端のトンネルを出たすぐの所で、花嫁の死骸が見つからんた。普段誰も着ることのない、緋色の襦袢が線路に広がっていると見えたからだ。あわてて群がり寄った村人たちが見たのは、しかし緋色の襦袢と見えた、夥しい血潮の跡だった。その傍らにことんと、縁なしの女物の眼鏡だけが、ひとつ落ちていた。肝腎の遺骸はどこにもない。狐かイタチが曳いていったのではないか、どうもこうも仕方がない。これで弔いを出すしかないだろう。それにしてもこの眼鏡は何だろう。一同不思議がった。誰もこの娘が眼を掛けていたとは知らなかったからだ。もちろん、両親さえ首をひねった。目が悪いはずはない。眼鏡を買い与えた覚えもない。しかし、遺品といえるものは、線路脇に落ちていたその眼鏡だけだ。眼鏡を棺桶に入れただけの奇妙なお弔いが済んで、やがて一年。誰もがそんな話を忘れかけた頃。
 トンネルを出たすぐの所にある踏切を、その夏の夕暮れ、野球の練習をして下校が遅くなった中学生が三四人、腹ぺこと疲労のせいで中学生にしては珍しくお互い無口で通りかかった。踏切を渡った途端、キンコンコンキンキンコンと警報が鳴った。
 あれーおがしねごどもあるもんだ、汽車通る時間でねーでば、と今渡ったばかりの踏切をひょいと振り返ると。
 「出だー!」中学生たちは一目散に走って息せき切って近くの家さ飛び込んだ。
 んだで、それがら夕暮れ方にあそごの踏切ば通るど、あがいべべきためがねっこさがしの、あまがでるぜ。
 薄ぼんやりした灯りを囲んで団居になっている私たちの背中は、すっぽりと暗黒の夜に呑み込まれている。子供の私は、後ろを振り返るのが怖くて怖くてどうしようもなかった。夏の暑さは潮が引くように宇宙の果てに遠退いて行き、どこからか入って来て蚊帳の裾に止まった馬追の、とんまな鳴き声を山姥のおらび声のように、耳の中が喚いていた。
 小学生の頃のそんな話が突然、夏の昼の盛りの道に甦った。一本道の両脇の田圃には、専制君主面した太陽が、安物の原色のペンキのようにペカペカ輝いている。私は一本の氷柱になって、夏の田舎道に凍り付いた。

 

第二節 げんにぇもんのうづは、ねぇぜ。

 

 異形の男は、異様な速度で近づいてくる。能役者が舞台を移動するような歩き方で、しかもそのスー、ピタ、の「タ」がない歩き方で、真夏の氷柱となって冷や汗を流している私の目の前まで幽鬼のようにやって来ると、目も合わさずに通り過ぎてくれることを念じていた私の願望とは裏腹に、私の真横ですっと静止してくれた。
 ――なんだ。靴とマントを後ろ前に着ているだけじゃないか。後ろ前の黒いゴム長の踵が破れ、よく見ると五本の指が剥き出しになっている。しかもそれが何日、いや何年洗っていないのか、アスファルト色に黒光りしている。馬小屋と牛小屋と豚小屋と、汲み取り便所の臭いのすべてが、闇鍋にした蓋としての口から発せられた蒸し暑い温気となって、目の詰んだ厚い投網のように私を襲った。私は思わず道ばたにしゃがみ込んでしまった。
 「どさ、えぐ。」
 牛か馬が、人間の言葉を発したらこうだろうという声音と息との、第二波が私を襲った。私の狼狽は臨界値に高まった。しかし同時に何か深い安堵感さえ覚えたのはなぜだろう、我ながらおかしかったのだが……。初めて私はその漢をまともに見た。
 「どさ、えぐ。」
 (どこさ、いぐ。)(どこへ、ゆく。)牛のような目で私を見ながら、再びその男は言った。意外に、まともな言葉を発したので、私の恐怖はたちどころに雲散霧消、氷柱の呪縛から解き放たれた私は、おもむろに態勢を持ち直し、この集落で知らないはずのない人物の名前を口に発した。
 「西山源右衛門の家ですが。」しかし、このむさい異形の男は、怪訝な顔をした。……その表情は私を突然土着の村人の記憶にした。
 「あぁ、えーと、西山のげんえもんのえさ。」
 (そうか、という顔をした漢は)
 「げんにぇもんのうづは、ねぇぜ。」と断言した。愕いたのは再び私である。この春に一度電話で話をして、夏の休みには祖母の墓参りをかねて実に十数年ぶりでその跡取りの家を訪ねることにしていたのだから。呑気で無精な私はお盆の頃に、とだけ言って後はいきなりの、前触れもなくそれを実行に移したのがいま、まさに、ここ。半年以上無沙汰をしていたわけだから、叔父一家がどこかへ越したと言うことは、あり得ないことではない。
 だがそれにしても、もし越したのならば一言私に挨拶があっても良いはず。と考え直すのが普通の人間だが、こういきなりの不意打ちに遭うと、慌てふためくのが私のどうしようもない性格で、この初対面の異様な、ほいとのような漢を相手に、ドタバタの一幕を演じてしまったのは、我ながら情けない。
 「ええっ、それって。どういうことですか。」
 「どうもこうもねえべ。居ねえものは居ねえし。ねえものはねえ。」
 「じゃあ、何処へ越したか分かりますか。」
 「越すとこったあ、そげなどごはねえぜ。」
 「ないって?今引っ越したと言ったじゃありませんか。」
 「おめえ、どさえぐなだ。」
 「だから、西山のげんにぇもんのえさ。」
 「そのさぎは、どさえぐ。」
 「その先とは、どの先ですか。」
 「んださげ、そのさぎだべっちゃ。」
 「それぁ、祖母の墓参りに来たのですから、済んだら西京に帰りますよ。」
 「それがら、どさえぐ。」
 「どさえぐって、何処にも行きませんよ。」
 「ほれ、見った。えぐどごはねえべ。」
 そう言い捨てると、男は例のすーぴたのたのない異様な歩き方で去って行く。半径五メートル以内を闇鍋の世界にする強烈な臭気が薄れて行ってくれたのは良いが、しかし他に人は現れそうもない(大概こんな時間は木蔭か、茅葺きの長い庇の家の奥、風の通路になっている部屋か廊下でみんな昼寝を決め込んでいる)、真夏の田舎の一本道で、私は今度は茫然と立ちつくすことになった。照り返しのきついアスファルト道路の一本道はどちらを見ても当て所のない風景で、両脇は田圃で遙かその尽きる所に、真夏の熱気で青黒くなっている山並が見えるばかり。異形の男が去って行く方向は私が今まで辿って来た駅前の、ほんの申し訳程度の家並みがある方角だが、私が行こうとしている方角、つまりこの男がやって来た方は、道はやがて森に入り込んでその先はどうなっているのか見当も付かない。どうなっていたんだろう。こんな方向だったろうか。何しろ子供の頃の記憶だから、こっちで正しいのかどうかさえ判然としない。しかし駅前の一本道はこれ以外にない。
 あの漢を追いかけて、もう一度、道を聞くのは嫌だし、何しろ叔父の家はないと断言した奴だから、尋ねてもまた似たような返事が返ってくるばかりだろう。仕方ない、意を決して私は先に進むことにした。仮にあの漢の言っていることが本当だとしても、この先の家でもう少しまともな情報が得られるかもしれない。と言っても、見える範囲に民家は一軒もない。
 汗をまた拭った。脱水症状に近い。日射病(熱中症)になる恐怖が頭をよぎった瞬間、生気を吹き返させるせせらぎの音が聞こえてきた。道の曲がり端の辺りに小さなコンクリートの橋がある。こんな橋があっただろうか。不審に思いながら近づくと、ああ良かった。この小川には見覚えがある。この橋を渡って確か道を回り込んだ辺りに家があったはずだ。と子供の記憶が蘇えった。やや元気と自信を取り戻した私は、記憶にある家を確認しようと先を急いだ。橋を渡り、道を曲がりきった所にその農家はあるはずだ。
 真夏でも陰気な杉の木立が大きく影を落としている所に、確かに農家はあったが、それは既に廃屋になっていた。漢の言ったことの真偽が確認できると期待していた私は、かなり落胆した。しかし、記憶が正しいことは証明された。この農家を通り越して、もう一つ小川を渡り、渡った所が三叉路になっているはずで、その一番右を辿っていくと確か叔父の家に出るはずである。出るはずと言うのは、その道は叔父の家でどん詰まりになり、後ろは西山と集落の人間が言っている山になってしまう。だが、あのほいとの様な漢が言うように、叔父一家が既に居なくなっていたらどうしよう。そこまで行ってしまうと、引き返すのにまた一苦労しなければならない。
 ……一体私は何を考えているのだ。叔父の家が無くなっていたら引き返すしかないじゃないか。しても仕方のない心配をしながら、もう少しだという気持ちが私をやや元気にさせた。また汗を拭いながら道の奥にこんもりとした林が見えたとき、犬の吠声がした。声だけではなく実体がこちらに駈けて来る。芥子粒みたいなやつが、吠えながら瞬く間に意外に大きな麦藁色の犬になった。今にも私に飛び掛かって来そうで、既に遅いのに、私は狼狽して地面を見回し、棒きれか何かを探そうとした。
 犬は私に飛びかかる代わりに、私の周りを相変わらず吠えながら、来ると見せかけては逃げ、逃げると見せかけては来るという動作を繰り返している。やや安心して犬の顔を見ると、何だか見たことのあるような顔つきをしている。思わず「ぽんた」と声をかけると、犬はいっそう飛び跳ねて、今度はやたらに尻尾を振って私にじゃれかかって来た。私は犬の頭を撫で、犬は私の顔を舐め、一応の挨拶が済むと、ぽんたは先に立ってこんもりとした林の方に走って行く。ぽんたが居たのはもう十数年も前だから、こんなに若いはずがない。しかし、ぽんたと声をかけたら嬉しそうに尻尾を振ったし。おそらく、飼い主の臭いと同じ物を私に感じたからに違いない。それにしても、狐のような犬なのに、なぜ「ぽんた」なんだろう。あの犬はぽんたの子供に違いない。ともかく、この先に叔父の家があるのは確かだ。安心と嬉しさとで暑さと疲れも忘れて、私もつい走り出していた。

 

第二節 イナコ

 

「ないらずー、着いで早々、ほんてえれえやづに会ったもんだない。」叔父一家のみんなは私の話を聞いて、大口を開いて笑った。「そいづあ、てっきりイナコだぜ」。「イナコだごんだら、いづでもなんでも人と反対ばすんなだちゃ」。成る程、夏の熱帯の日盛りに、冬の真っ黒なマントに長靴か。
 「えっ、だったら冬は浴衣で日和下駄かなんかという出で立ちになるんですか」。「ほだべのう。冬になるごんだらば、家も道もなんもかんもわがんねほど、雪さ積もるごっで、歩いでるのば見だ者は、誰もいねえどもの」。
 実際この集落の冬の積雪は尋常一様ではない。藁屋根のかなり高い、近代建築で言うと二、三階建てほどの高さのある平屋が完全に雪に埋もれる。積もった雪の外から家の中に入ると、地上にあったはずの玄関に達するのに、地下に潜り込んで行くような不思議な感覚になる。外は勿論綾目もつかぬ白一色の雪の世界だ。小川という小川もすべて雪の中。下手に出歩くと、もう何処とも見当のつかない雪の川の中に引きずり込まれ、誰も知らぬうちに氷漬けの土左衛門になって、春を待つことになる。勿論、除雪機等という洒落た物はないし、近代の日本で言う過疎地の村みたいな所だから、隣の家まで行くのに、最低でも小一時間はかかる。そんな冬に、従ってあちこち出歩く物好きは誰もいない。
 「食べ物たら、困るごどはねえべ」。主食の米は他に売るほどはないが、一家で食べるには困らないほど十分収穫してある。野菜は、裏庭で栽培したまま天然自然の雪の冷蔵庫の中だ。雪に降り籠められて、やる事は何も無い。親父は囲炉裏の横座に坐って朝から濁酒を呑んでいる。な一に、酒だごんだら幾らでも出で来んなだ。米があるさげの。それって密造じゃあないですか。ほだが?だども米があれば酒は出来っぺ。それはそうですが、税務署か何処かの役人が摘発に来るでしょうが。んだが。そげなごとはあったためすがねえが、ずっと昔、ひい爺さまの頃にそげだみでえな事があっだみでな事は聞いだごどがあんべ。「油っけが、ちっとたんねーがな」。
 四つ足は、牛馬が農耕に必要な伴侶であった長い伝統から、食生活の中に入っていない。野生動物と言っても、おそらく周囲の山にいるのは、狐ぐらいだろう。狐は、山の神の使いだから、これを殺して栄養にしようなどと言う発想は出て来ない。尤も、狐の肉が旨いという話は聞いたことがない。狐がいれば狸もいるはずなのだが、狸の姿は誰も見たことがない。
 「んだでば。イナコの先祖はきづねだっちゃ」。叔父の長男の、私より三つ年上の佐久左右衛門が、面白そうに話し始めた。その表情に、私はさっき夏の田んぼの一本道で凍り付いた、子供の頃の怪談のにおいをかぎ取った。
 「あれあ、イナコのえのほがら来た行商のおやじだべ。夏になっとよーこごささがな売りに来んなら。峠ばみっつ、沢ば二つわだってくんだずらい。鰯が鯖が光もんさ担いで来んなださげ、さぎの浜がら朝げに仕入れで、そのまんま山さ歩いでくんだっちゃ。山さかがる頃日も暮れでしまうんども、腐ったら売り物にならんで急いで夜のうづに山越えてやって来んなら。背負子に山程魚箱を重ねて汗だぐで山道ば上り下りで、えらいごんだで。辿り着げばすぐと皆売れてしまうだで、儲がるごど儲がるごとったらねえ、兎に角やって来んなら。んだどもの、途中できっとえれえごどに逢うんなら。去年のちょうど今頃のごっだべ。朝に西の浜で魚ば仕入れでそのまま急いで山に向かっだども、暑い夏だっちゃ。来るのにえらぐ難儀して、山に差し掛かるころには日が暮れていたっちゃ。えっ、真っ暗な山の中を一人で越えてくるんですか。ほげなごと造作もねえちゃ。慣れだ山道だす、必ず月の明るい夜に越えるべ。どういうことですか。満月の夜タラ、昼のように明るいで夜でも歩くのは造作もねえ。んだども、この満月が曲者せ。オロローッパーどか言う何処だが知れねえ地の果ての国にもおおがみ男みでなのが出るら。山道はあがるいんだども、物の怪が出るっちゃ。ここで私の鳥肌が立った。昔この家の客間で一人で寝させられたことがある。あたりは真っ暗闇。目の前に自分の手をかざしてみても、指が全然見えない。目が突然見えなくなったのか、指が無くなってしまったのか、触ってみると確かにあるのだが、またかざしてみると無い。どうにも寝付けない。

 

動物タンパクは、殆ど魚に依存している。尤も、この集落のおかしな所は、農耕に牛を伴侶とする者と、馬を連れ合いにする者とが截然と分かれて、それぞれの連を形成していることだ。牛家は、牛頭をあがめ、馬家は馬頭観音をいただく。従って、同じ集落にありながら、祭りは牛馬別々である。

 

第三節 金でねーでば

 

 ばんつぁ、キーワイくれねべが。おれちゃ、キーワイ、たらいう物食べだごどねえでば。なんぼが、好い加減に酔っぱらうんだべの。
 なんぼがたわげだごと、いうごんだっちゃ。おめ、キーさけーるものば持ったなだが。おまげにキーワイは酒でねえど。果物だっちゃ。
 ホー、何が、ねど、呉れねのが。
 おめー、世のなが、相身互いだべ。呉れちゃ言うごんだばよー、おれにも何が呉れねばの。この村だば、皆そうでねが。
 市場主義経済から見放されたこの村では(「見放された」と言うことは、儲けの対象になる物も人も土地も自然も殆ど何もないと言うことなのだが)、お金という物を目にすることが出来ない。いや、金という物のあることを村人はまるで忘れ果てて暮らしている。従って、物の売り買いという概念はいつの間にか村人の頭の中から消えてしまった。物は売り買いするのではなく、交換する物なのである(完全な原初経済)。社会学者や歴史家が言う、物々交換のレベルの世界がこの二十一世紀の地球のどこかに存在している。
 言われて、むさいぼろ衣をほろげでいだっけが、まああだりめだっちゃ、何も出で来る物ははあねえべ。ないだずよー、イナコ、やっぱり何もねーのが。ばんつぁまに言われて、ふけと油でてかてかになっている髪を掻いたっけが、人の家でほげだごどしてよー、汚ねーぜぇ、どれ見せてみったその手ば、拭いでやっぺっちゃ。
 言われて右手を出したその掌に、あれあ、ないらずよー、ペカペカ光る丸っこい平べったい物がはっついてんなだちゃ。何らずーイナコ。ほれ、ちゃんと手ば見せろちゃ。
 あいやー、こげだ物、初めでだ、見んなよー。翡翠色に光ると見ると、朱色、橙、藍、深紅、碧緑。万華鏡を逆さまに覗いたように、透き通った色そのものの光が入れ替わり立ち替わり奥深くペカペカの背後から透き上がってくる。 何らずー、ペカペカの平ったいもんだによー、なんだが底さ引ぎごまれるぜ。なんどもえねきもづさするさよー。
 ばんつぁまは、久しぶりに胸が高鳴るような心持ちがした。自分が初めて恋心を感じたときの気持ちのようでもあれば、霊験あらたかな神様にひかれてお浄土とやらに迎えられるような気持ちでもある。
 五彩の雲に乗り、五色の糸を垂らして、迎え取りに来てくんなだちゃ。御印のお札んねべが。聞いだごだねーども、てっきりそうだぜ。イナコ、どっからば持ってきた、こったな物よー。おれさ呉んねが。キーワイだごっだば、なんぼでもあげべ。

 

第二章 ナイダテヨー。

 

第一節

 

 ナイダテヨー。困ったもんだぜ。おめーにもよー。まだ、娘ば孕ませだのがよー。 村の診療所の待合室の長椅子に、イナコが止まっている。なりたての、うりぼーのような看護婦が、けろけろと笑いながらイナコに語りかけている。
 本人が自ら来たわけではない。誰かが連れて来たのである。このムラの決まりだと、犬猫と同等のものの場合は親の同意を待たず、保健婦がその権限で始末してよろしい(此村に保健夫はいない。女性でなければ看護された気がしないし安心も出来ないと、誰も彼もが感じているほど、皆マザコンなのだ)。しかし、イナコはどういうわけかみんなからヒトと承認されている。ヒトの場合、まだお腹の中で嫌がっている子を無理やりこの世界に引きずり出すには、本人とお腹の子の親の承諾が要る。娘は口が利けない。というより、口を利いたことを村の誰もただの一度も目撃したこと、もとい耳撃したことがない。従って娘はほとんどネコ族に属するのだが、親のイナコの威光でヒトになっている。ヒトに属してはいるが、従って、この子の親はいつも判明しない。垢まみれこのロースハムの薫製のような娘は、イナコと同等あるいはそれ以上の臭気を五メートル四方に放散している。おまけに顔は垢の厚いどす黒い化粧で覆われて、目鼻立ちは愚か、顔自体の輪郭すら分明でない。こんなヒトと言えるかどうか不明な女を孕まそうなどという大それた邪念を持つ者は、村には誰一人いるはずがないのだから、結果の原因はいつも一緒にいる、娘の父親のイナコとなる。
 それでなくてもこの、冬になると十メートル以上の積雪で、一切のたつきの仕事は愚か、隣近所との往来も不通に陥り、各家が孤立してしまうこの集落では、過去から未来にかけてこれはありがちな事であった。というわけで、村人にとってこれは実に真実以上に明白な事実なのである。そこで、娘の子の親である娘の親が連れてこられたというわけだ。もっとも連れてこられた親も、何も判らないのだからほとんど意味はないのだが。
 ほれ、誓約書さサインばしろちゃ。犬猫同等用の誓約書だとその一項目として不妊手術同意の項目があるのだが、そしてムラではイナコの娘の不行跡を憂慮して、それをしたいのだが、仕方なしにヒト用の誓約書を使っている。こちらには本人と親あるいは子の同意がいるのは言うまでもない。
 えっ、生まれた子供はどうしているのか?孕んだがどうがもわがらね娘っ子が、何して育てられっがよ。直ぐど里子さ出すっちゃ。もらい手はなんぼでもあんなだ。めごいす、少し大きくなれば、家の手伝いさせっちゃ。
 それにしてもいつも、服なのか着物なのか、ただの反物なのか、色目も文も何も区別が出来ない、ずるずるぼろぼろの布をロールキャベツのように、十二単衣のように身体に分厚く巻き付けているのだから、この娘が妊娠したのかどうか、誰も気付くはずがないようなものだが。
 つわりだっちゃ。
 ムラの眠生委員(民生委員ではない)が、ある手続きのため誰も踏み入ることのない、村の範囲に入っていない、田舎の中でも田舎以下のウロ漏り山にあるイナコの家に行った時のこと。誰が行ってもどういう訳か、大概イナコも娘も家にいることはない、おそらく家に確実にいるのは何もかもが闇に飲み込まれる夜なのだが、水道も電気も通っていない、道だってあるのかどうか怪しいイナコの家に、夜にわざわざ出掛けて行こうという物好きはない。だからイナコを捕まえることは容易ではない。ところがその日はどうしたわけか、イナコも娘も両方とも昼の日中に家にいた。
 外から呼んでも返事はない。藁屋根が草臥れて突っ伏したような、家の体裁を殆ど為していない住居だから、玄関がどこかすら判然としない。まして鍵など掛かっていようはずもない。当てずっぽうにそれと思しきところからずっと中に入ってみた。
 あれあ、魂消だのなんの。方丈程もねえ家さ、いぢどぎに千人もの泥棒が入った後みでだったぜ。家財道具らなにらが、なんらが綾目もつがね。ゴミ山のながさへったようなもんだずらい。しょうことなしに、イナコー、イナコーと大声でよばったらばよ、なにら、地の底がら幽霊みった幽かな返事がすんなだ。藁だの薪だのボロだの紙くずだの椀だの得体の知れねもやもやのものだのなんだの、ゴミの山が家みったもんだぜ。そっからむぐらみでによ、むわむわどなにらわいで来んなら。わーまだまだ魂消だ。汲み取り便所がむぢあがって来だがど思ったっけ。鼻、ひん曲がるどごでねえでば、目までひん曲がったでば。
 イナコがゴミの中から湧いて出てきた。
 ないらずー、イナコよー。糞転がしみてーにえの中さむぐって。われ、娘どなにしてんなだ。イナコの顔のわぎさ、娘の顔がつぢさまぶれだシメジの子供みだくでできたっちゃ。

 

第二節 

 

第三章 おめとす、なんぼだ。

 

第一節

 

イナコよー、今日はまたなんぼがええべべ着ったなだが。

まだ朝露が消えないあぜ道をイナコが歩いている。イナコが着ているのはこの山里の風景にはもちろん、当然イナコ自身にもまるで不似合いな、目の覚めるほど鮮やかな友禅の袷の着物。胸がはだけて日焼けなのか垢なのかどちらなのか区別が付かない黒くてかてかした皮膚が剥き出しになっているが、腰には誰が結んでくれたのか、これまた贅沢な金糸銀糸綾織りの半幅帯がしっかりとお太鼓に結ばれている。そのせいで、胸がはだけ裾は広がり放題だが、遠くから見ると鄙には稀な妙齢の京の女が、天から田圃に舞い降りたかのように見える。誰かが着せて帯を結んだことは確かだが、こんな酔狂なというより、これほど高級な着物を持っている家などこの辺りにあるとは思われない。
 北山のばさまだべが。没落した旧家の、全くイナコとは反対の、しかしある意味ではほとんどイナコと同様の境遇にある、豪壮な屋敷でたった一人で暮らしている品の良いばさまが思われた。この北山のばさまの家は、私が子供の頃恐怖したあの夏の怪談の、赤いべべ着ためがねっこのあまの家だと言われている。おめー、ほったな綺麗なべべ、いってぇ、どがいすたんだずよー。

 

.第二節

 

イナコが漏り山幼稚園の子どもたちの登下校の途中、ちょっかいを出したぶらかすので困る。ムラおとなどもは、このバッタのようなまあとりあえず使えると言うことか。

 

第四章 あやや、まただぜ。

 

第五章 えぐ、どさ。

 

第一節 開化

 

 まことに残念ながら、この話もそろそろ終わりに近づいた。全てには終わりがある。 最後の最後までウロ漏り山の村人は知らなかった。自分たちの世界が外界から隔絶された隠れ里だったということが。このコップのなかの嵐にもならない、ウロ漏り山ムラのごたごたは、今となってみればかわいらしい、お伽噺のような物だった、ということが。
 これが「現実」なのだ。「現実」に直面したムラ人たちにとって、唯一頼りになりそうなのは、驚くことにイナコ一人なのだが、異頭同念にそう思ったのだが、思ったとき既に、イナコは忽然と姿を消していた。