guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

言語の必要不可欠性

言語が人間にとって水や空気或は食料と同様に無くてはならない物だと言う事が忘れ去られているような昨今、今一度その必要不可欠性を確認しておくのは悪い事ではない。言語が人間にとって如何に大事かと言う事を人類の初めに戯画的に示唆したのが有名な旧約聖書にある「バベルの塔」の話であるのは誰でも知っている。色々な解釈が行われているが、ポイントは二点。「人間」が神に匹敵する能力を持つと言う、如何にも尊大な欧米人の基盤となっている人間観であり、もう一つは(こちらの方が重要なのだが)人間が生きて行く上で言語がどのような役割を果たしているかを如実に示している点である。
人間が生物として生きる為の行為は全肯定しなければならぬと宣言した思想家が居たが、生きる、生命を繋いで行くと言うのは生物としての無条件の本能である。しかし、本能に駆られて闇雲に行動しても生きては行けない。群棲動物としての宿命を負わされた人間は、単独で自分一人だけで生きて行く事は出来ない。必ず群れて生きるしかない。この事実は誰がどう逆立ちした所で認めるしかない。所が、俺は私は自分一人で勝手に生きていると思い込んでいる若者は多い。一寸考えて見ればそれが大錯覚なのは直ぐ判る。因に今、自分が着ている物。何処かの誰かに作ってもらった物だ。自分一人で材料を集め布を織り縫製した物ではない。群棲動物の対義語は単独(単棲)動物だが、衣食住の全てを自分で調達出来る動物を指す。虎がその例。どう意気がって見てもそんな事、人間には到底無理だ。勢い否応なく人間は群れて生きるしかなくなる。詰まりどんなレベルであれ、必ず集団・共同体を形成して生きるしかないのが人間である。
さて、集団を形成しお互い助け合って生きて行くには意思疎通がどうしても必要になる。この肝心要の役割を果たすのが〈言語〉だ。言葉を持たない共同体・民族は無い。逆に言えば言語こそがその民族、共同体を形成・維持させている当体である。詰まり言語によってこそ人間は生存の基盤である共同体の維持が出来ているのである。人間にとっての言語の必要不可欠性の最たる物がこれだ。そして共同体が形成・発展するにつれて様々な制度や組織・文化が生まれて来るが、ここでも言語は無くてはならない働きをする。ここでは社会共同体に於ける文化伝承という点に絞って言語の必要不可欠性を見て行く事にしよう。
伝統文化とか文化伝統とか言う言葉は最早死語に近いが、意味は〈その民族が暮らしている自然条件、風土に適した生活を営むための知恵の集積〉である。例えば「夏冷の法」。「家居の造りは夏を旨とすべし」と言うのが日本の伝統的家屋の基本である。