guteki’s blog

愚適庵の日文美術館

 自作の、詩集・小説・随想など、一文をわざと長くしたり、逆に短文にしたり、形式段落を長大にしたり、訳の分からない文体にしたり、
色々に描いたものを展示しています。

ト二・ギーコ氏の妄想

『ト二・ギーコ氏の妄想
           ー莫迦なシ"ップンのタワシー』

 この世の光の中とやらに現れ出た(人は判る世界を光で表し、明るい世界は目に見えるから、判らない世界を闇で表す。何故なら暗闇では何も見えず何も認識できないから)、つまりこの世に生まれた出たのは西暦一九四〇年代後半、生まれ出た所の国家というものが用いている元号によればシヤーワニ十年代初頭、人間誰でも何処に住んでいても自己中心である事には変わりがなく、因にその最たる西オローロッパ人とやらに言わせると極東、即ち東の端の涯の涯、ミミズがのたくったような形をした矮小卑小ちっぽけな島の北の更に東の又、東の東の端、地球上どこでも太陽は東から昇るからこの「シのモト」とか言う国の古代人の自己中心の言い方だとおお偉大なる「日出づる」所ではあるがその、所謂「鄙」、「ひな」、平たく言ってしまえば「田舎」、強調すれば「弩田舎」に、「人間」となって出現した。正確に言えば「出現させられた」。おー・ぎゃーぁ。……この不思議さ。何故、選りに選ってこのふた親。何故、選りに選ってこんな土地。何故、選りに選ってテーヘンヨー戦争ぼろ負け後のジップン。何故選りに選って人間?どれを取ってもこれを取っても皆、一体全体何で、どうしてこうなのか、こうならなければならないのか、丸でわからない。理不尽、不条理と、格好をつけ反っくり返って宣わなければ飲み込むことが出来ない程詮方無い成り行き。そうして、生まれ出て何年も何十年も訳も分らないまま右往左往し、揚句、もうソロソロコソコソとこの世とおさらばしなければならない死ぬ支度をしなくてはならない年齢となったギーコ氏にとって、今更乍ら残念に思う事は、自分が如何にノーテンキの馬鹿者であったかと言う、此の期に及んで気付いても取返しが利かない、最初の最初から既に判って居た筈の、自分で自分を捕えようと泥縄を綯う間抜けなコソ泥のような仕儀。尤も、ギーコ氏の人生を見返すと、これは今更の話ではない……。
 お馬鹿な間抜けとしか言い様がない。しかし、ここでギーコ氏が「頭が悪い」と言うのは、学校の「お勉強」が出来ないと言う事ではない。頭がお悪いと言うのは、〈自分が置かれている状況を自身も含めて毫もちっとも理解する能力を持ち合せていない〉事、即ち「知恵」がないの謂である。詰まりギーコ氏の言う「お馬鹿」は「お勉強」の出来不出来とは何ら関係のないもっと肝腎な人間としてより根底的な事を指している。……何と言う事だ。ギーコ氏は長嘆息する。自分がどのような位置、状況に置かれているのかの認識が出来なければ、自分がしていることさせられていることの何が何だかが分らない儘、五里どころか、一生霧中で右往左往するしかない。そして確かに頭が「お悪い」ギーコ氏は右顧左眄、キョロキョロしながら訳の分らぬまま、霧に巻かれた人生を遂にこのドン詰まり迄うかうかと過ごして来てしまったのである。そして哀れな事に、またそして大凡の人間がそうである様に、此の期に及んでほんの少しだけ、チラッと瞬きをするかしないかの間、ほんの刹那、自分が置かれていた立場状況が見えたようであるらしい。
 今一度確認しよう。メージイ政府によって形成された近代国家ジップンが、ソーセキの『サーンタロー』に登場するヒロータ先生の予言通り「減び」た後の世界に出現させられたのがギーコ氏である。傲岸不遜なベーオをコラしめろーっ、この鬼畜ベーベーめーぇ!と怒鳴っていたジップン人が、敗戦によってコロッと、音頭を取り撥を揮っていた「張本人」を先頭に雪崩を打って、掌を返すようにアンマリーカに尻尾を振る犬コロの如きジップン人となった社会に、生まれさせられた。(ギーコ氏のような一般庶民は、しかし、負けたという形であれ戦争が終わったことに一種の安堵感を持ったのは確かで、しかもギブミーチョコレートのアンマリーカが、民主主義のよのなかがきました、あなーたがた、ひとーりひとーりがしゅけ-んしゃでーす。つまーり、戦争前の天皇陛下様のよーなものでーす。と宣言したものだから、これを喜ばないはずがない。アンマリーカの爆撃を受けたことのない田舎のじじばばは、余りの畏れ多さに田圃にひっくり返ってしまった。おまけに農地解放とやらで小作人の大半が小作料を分捕られないで済む自作農になれたのだからアンマリーカさんを歓迎しない筈はないのであった。ヤンキーの歌が流行り、胴長短足の老いも若きも皆似合うはずもないブルージーンズを穿きたがった。)――尤も、このような成り行きの世界に出現したのはギーコ氏の特殊事情であって、誰であれ皆何時の世の如何なる所に出現しようと、既成・既定の社会状況秩序の中にその時遅し、既に否応なく組み込まれてガラガラポンされてしまっている、と言うのがあらゆる人間の宿命で貧富貴賤の何(いず)れであれ何(なん)であれこの事情から逃れることは出来ない。それはどうにも詮方無い。それよりも問題はその事に気付かず、全てを所与の明々白々お天道様として端から疑うことも無く生を開始する点にある。ギーコ氏が正しくそうであった。親の言う事、教師の言う事、隣近所の親父や嬶や爺や誰彼の言う事、四六時中耳の中で喚いている言葉に従ってその言うが儘に生きて来た。曲芸師に調教される動物。その言葉に背けば手痛い罰を受け、上手く従えばこの上無く美味しい褒美が貰える。ギーコ氏でなくても誰でも、皆このように調教されて成長して行く。そんな事はないサ。俺は勝手に生きてるゼ。とふんぞり返ってみたところで、お釈迦様の掌の中でそれと知らずに自分では勝手気儘好き放題をしていると思い込んでいる猿のようなもの。既に箍が嵌められている。勿論、これは群棲者としての人間の宿命であって、固より否定されるべきものではない。ただ、その調教の仕方・中身、その機構、意図が問題といえばなんだいなのだ。
   死がそう遠くない未来に迫って来ているギーコ氏にとって、こう書くとギーコ氏はきっと次のように反駁訂正するに違いない。死は恐ろしい形相をして前から未来から我々に迫って来るのではない。ケンコー法師の言うように、知らぬ間に背後から不意に襲って来るのである。つまり、誰も自分が死ぬ等と思っていない。あっという間の知らぬ間に、死ぬのだ。それは兎も角、何やら此の歳になって漸く薄ボンヤリと見えて来た物がどうやらギーコ氏にはあるらしい。群棲者としての人間が否応なしに形成しなければならない社会・共同体の機構の絡繰り。ヒトがある集団を形成すれば、そこには必ずボスが出現する。逆に言えばボスという存在が無ければ、その集団は統率力・求心力を失い崩壊する。集団が瓦解すれば、個は行き場を無くし結局死ぬ羽目に陥る。共同体の中に生まれ、共同体の中で生を送るしかない人間にとっては、だから自分が属する社会が自分の生命にとって、一体何をしてくれるのか、或は自分の生命に何をさせようとするのか、と言う事こそが見極めなければならない一生の大事、大問題。しかし、残念乍ら誰もこの肝心要の盲点に気付けないまま人生を送ってしまう。人間として生れたからには、自由に、快適に生きたい。出来れば自分のあれやこれやの次から次へと出て来る煩悩・欲望こそ存分に満足させたい。浅ましい事だが根幹に於て生物としての本能に駆動されているヒトとしての、それは当然の欲求ではある。この群棲動物人間の欲求を最大限に発揮・享受している者こそが時の権力者であり、それと結託した政商、そして実は我こそ支配者とほくそ笑んでいる官僚である、と言うのはギーコ氏の被害妄想的見解。そしてその為に、どこぞの田舎のムラのボスだろうと、ピカピカに立派な看板を掲げた国家の親玉だろうとヤクザだろうと、それを実現する為の子分となる取り巻きの機構を組織・整備する。かくて、その他大勢のギーコ氏のような十羽一絡げ(同僚が呆れ顔で笑い乍ら話して呉れた、今日(きょーび)の語彙力のない若者はこれを「十羽ひと唐揚げ」と言って疑わないらしい)ならぬ万羽一絡げの庶民は、その生命を国家という機構の部品、歯車の一つとして組み込まれ、鶏や羊や馬や牛豚よろしく牧羊犬の言いなりに駆り立てられて行く。相も変わらず改善の兆しも見えない、朝夕の通勤ラッシュを見れば一目瞭然。
 扨、くどいようだが繰返すと、ギーコ氏は偶々二十世紀半ばの西オロローッパ人が言う極東のジップンという地震の巣窟と台風の通り道のような不安定な島の、北の方の山の中に、田舎のサラリーマンの親の下に生まれ出た。折しも時代は近代国家ジップンが当時大国となりつつあったアンマリーカ衆グ国に対して無鉄砲な戦争を仕掛け、焼け焦げた襤褸切れのようになって全面無条件降伏をした直後である。敗戦によってこの国の社会及び文化はメイジジイ維新以来の大カタストロフィーを迎えていた折も折。三つ子の魂百迄。この時期に親となったジップン人の大半はその精神の根底に修復不能な大きな罅割れを生じさせていたに相違ない。それが子供を育てる上で大きな影を落とす事になった。一見すると、近代国家となっても尚残存していた封建的因襲や価値観が一掃され、自由平等な社会がそれこそ幻術か手妻を使いでもしたかのように突如出現し、ジップン人全員が魔法の国の住人になってしまった。特に長い時間を掛けて培われて来た伝統的な価値観、善くも悪くもジップン人の基底を形成していたものが一朝にして骨抜きにされてしまい、このタカサーゴ民族は一挙に糸の切れた凧のように舞上ってしまった。元々節操の欠片もない脳天気な民族が、上から下迄その本領を遺憾無く発揮する時代・社会となったのである。
 ところが一方で、メージイ以来の支配階層は温存されたままであった。理由は簡単至極。進駐軍の中核を形成していたアンマリーカの意向である。はじめ、彼らはこのどうしようもない無鉄砲・無節操なジップン人にほとほと嫌気がさし、永久に戦争できない民族にしようと画策した。半世紀後に目の敵にされる「ジップン国憲法」の制定。ところが直ぐに、事態は急変。チョーセーン戦争の勃発によって、そんなことは言っていられなくなった。こいつらを手下にして良いように使うに越したことはない。誰だってそう考える。世界の共産化という戦後の趨勢を見ると、彼らの旗印である民主主義の徹底は棚に上げておいて、こいつらがメージイ以来牢固なものとして築き上げてきた支配機構・組織を利用するにしくはない。と言う勝手な事情で急旋回。ジップンの根底からの改造は棚上げされ、実に好い加減な表面ばかりの自由主義の世界とはなった。そのような時代、風潮の中でギーコ氏は成長させられたのである。
 迂闊でオドオドした子犬のように従順な、反抗することを知らぬ、反抗する意気地を持ち合わせていないギーコ氏が、どうもこの世の中は自分が「お勉強」させられて来たものとは違うらしいと今更乍ら気づいたのは、新制高等学校に入学して初めての生徒会であった。中学校の生徒会で訳の分からないことばかり発言するガキどもに閉口していたギーコ氏は、県下の「秀才」が集まっているしかも「高等」学校だから、理路整然とした建設的な会合が開かれるものと思い込みかつ期待していた。――その期待は生徒会が始まるや、忽ち打ち砕かれた。中学校の生徒会に百倍して会は紛糾し、得手勝手な言葉が四方八方から喚き散らされ、「会議」という体裁を端から成していない事態に、ギーコ氏は唖然とした。「お馬鹿」なギーコ氏は最初この事態が全く呑み込めず呆然としていたが、罵詈雑言阿鼻叫喚の言葉の嵐の中で、体育館の床に踞って何とかこの意想外の事態を理解しようと焦った。大半は自分より「頭が良い」生徒の筈である。何故かというと、ギーコ氏は辛うじてこの高校に入学出来た筈だから。中学の進路指導の教師に「高校浪人なんて言う恥ずかしいことを覚悟の上なら、まあ、受験してみるさ」と言われてこの高校を受験したのだから。そのような「お頭のよろしい」生徒が大半の筈の生徒会が、暗愚凡庸なガキだらけの中学の生徒会よりも酷い、と言う事実を目の当たりにして、ギーコ氏の理解・理屈の箍は外れてしまった。――その後一月程、呆然と過ごしていたギーコ氏の頭の中に、薄ボンヤリと見えてきた物は、誰も彼もが得手勝手、好き放題やっているように見えて、実はその人物が生まれ育った環境にいかに影響され、無意識のうちに縛られ成型されて成長しているかという、人間の成長に関する至極単純な事実だった。この学校の「秀才」と呼ばれる生徒たちは、それぞれ県内の何処かの地方のボスの家に生まれたのが大半で、生まれてからこの方知らず知らずのうちに親がやっていることを空気のように呼吸し、あるいは言い含められ、このような人格に成型されてきたのだろう。理想的な理性的な生徒会、は霞の如く吹き払われ、ギーコ氏の目の前に現れたのは「大人の社会」の壁であった。ソーセキの『ボーンちゃん』の言葉が今更のように耳に響いた。――「赤シャツはあるとき坊ちゃんに言う『あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は初めての、経験である。所が学校というものはなかなか情実のあるもので、さう書生流に淡泊には行かないですからね』。坊ちゃんはそれに対して『今日只今に至る迄これでいいと固く信じている。考へて見ると世間の大部分の人は悪くなる事を奨励している様に思ふ。悪くならなければ社会に成功しないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。夫れぢや小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教へない方がいい。いつそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為にも当人のためにもなるだろう』――ところが、それでも目が覚めないのがギーコ氏の「お馬鹿」な所で、毎時間生徒から計算ミスを指摘され、あまつさえ解法まで教えられる数学の教師、クレオパトラの話をしながら顔を赤くする世界史の教師、原生生物サルパ類の顔をして人間の言葉を喋る生物の教師、教師という教師を馬鹿にしながら、それでも大学受験が目の前に迫ると、急に困窮して何とかしなければと焦り出す。こんな大学受験程度で自分の将来が決定されては堪らない。結局訳の分からないまま三年間が過ぎてしまった。入学仕立ての生徒会で受けたショックを徹底的に追求しようという頭は丸でなかったのである。また凡庸な、周囲と大人が設えた柵の中で猿回しの猿の束の間の自由を遊んでいただけの事だった。
 否でも応でも一定の年齢になれば皆、社会に出て行かなければならない。そういう仕組みになっている。殊に近代国家では義務教育期間が設けられ、それが過ぎれば子供は社会に出て働かなければならない。その先の中等・高等教育機関に進めるかどうかは、親の意志・経済力に左右される。それはともかく、そこでまず最初の篩が掛けられる。子供を国家の機構に編制する第一の関門。ギーコ氏の時代は、初等教育、小中学校の九年間が義務教育であった(アンマリーカの教育制度の真似である)。しかし、中学を卒業すると大半の子供が就職する時代だった。「集団就職」列車が仕立てられ、それに詰め込まれて都会へと出て行くのである。工場の職人の徒弟、商店の丁稚、あるいは新聞配達をしながら定時制高校に通う者。否応なく本人の意志と関わりなく、社会の下積みの層を形成させられる「人材」としてそれぞれの職場社会に振り分けられたのである。尤も、この列に入らない、正確に言うと、はみだした子供もいる。愚連隊と呼ばれ、やがてヤクザの組織に組み入れられ人生の裏街道を生きることを選択した、あるいは選択せざるを得なかった子供たちである。しかし、ギーコ氏の知る限り、この道に踏み入った者はごく少数だ。それはともかく、この段階で第一の篩掛けが終わり、次に来るのが高校の段階である。高校の段階でも多くの子供が社会に出た。商業高校や工業高校に行った子供たちである。この子供たちが次の層を形成する。最後が大学。ギーコ氏の時代はまだ「年功序列」「終身雇用」という日本的な会社社会制度があった。従って試験の成績がよろしい所謂有名大学を出れば、その人の一生の安泰は保証されたも同然だった。学歴主義、苛烈な受験競争。大学卒業のレベルで一応の篩掛けは終わり、エリートと称せられる一群の「お頭のよろしい」秀才たちが、政界、経済界、司法・行政の世界に振り分けられる。こうして近代国家はその合理的効率的運営のために、「国民」を編制する。そして先に見たように、ジップンという近代国家において上流の支配層を形成しているのはメージイ以来の門閥・閥族であることは今も変わりがない(フークサワ先生は、確か「門閥は親の敵でござる」と言ったとか)。ちなみにトーキョー駅に行ってみたまえ、林立するビルの大半にそれらの名前がつけられている。要するに教育による子供の選別は、これら日本の隠然たる支配層が自らに有用な(都合の良い)人材を確保するための仕組みでしかない。選別された方はエリート意識をくすぐられ、その見返りの地位・財産などにすっかり満足するという寸法だ。こんな明白なことにギーコ氏が気づいたのは、呆れたことに大学を出てかなり経ってからである。ギーコ氏が出たのは凡庸な大学だったから、出世競争とは始めから縁がなかったし、ギーコ氏自体がそのような欲も能力もなかったから、彼にとってはどうでも良いことになってしまっていた。初めから窓際族である。それでも同僚の出世の話は耳に入ってくる。すごいな、あいつ入社四年目でアメリカ支社に転勤、支社長代理のポストだとさ。涎を垂らして羨ましがり、嫉妬する同僚。それを小耳に挟みながらギーコ氏は、たまたま上司に連れて行かれた銀座の「クラブ」で何処かの重役らしい客が、引き連れていた部下にしていた話を思い出していた。
 今時、縁故採用があるんですか、だって?寝ぼけたことを言ってるねぇ、君も。そりゃ当然あるさ。じゃあ我々の「この会社」に馬鹿でも入れるんですか?そりゃぁ、当然入れるさ。上司のその言葉に、若い如何にも出来そうでございという面をした部下は、鳩豆を食らった顔をしていた。考えてみろよ。会社の業績向上こそ至上命令だ。そのお蔭で君らは高給が取れるのだ。当然そのためには何だってやるのさ。重要な取引先や、場合によってはライバル会社の御曹司、親が持て余している使い物にならない奴に白羽の矢を立てて、丁重に縁故入社させる。要するに人質だ。一見役に立たない穀潰しのように君らには見えるだろうが、これはという場面で切り札として使うんだ。――そう言われて、エリート意識を鼻にぶら下げた部下は、成る程と納得したようだった。自分は、違う。なんだか安心した若い部下達は、好い加減なところで切り上げさせられてクラブを出て行った。その後のこと。残った件の重役連中だけ、奴らには内緒だがと断っての、話しの続きがあった。